相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『人を咎めようとする我が心を咎めよ』(2009年5月 1日)

人を咎めようとする
我が心を咎めよ

 糖尿病から視力を失った友人がいます。彼は目が見えなくなったことにより、当たり前と思っていたことが当たり前ではなかったと感じるようになったと言われます。目が見えなくなったお陰で今、耳が聞こえることが有り難く思える。こうして人と話ができることが嬉しいと味わえるようになりましたと言われるのです。私は彼の言われたことや彼の表情から、喜びはどこにでもあるのだな。それに気付かず何かにつけ不平不満を募らせ、怒りの心を燃やして人を困らせ、愚痴をこぼしている自分が恥ずかしく思いました。反省せねばと思うのですが、人間の目は外を見る構造にできているので仕方ないのでしょうか。自分のことは見ようとしない、分かろうともしないで他人のことばかりが気になるのです。他人の長所は見ずに悪い点ばかりが見えて仕方がないのです。それも身近な人や利害関係のある人のいたらぬ点は尚更気になるのです。その都度、その都度、文句を言おうかどうしようか、注意をしようかどうしようか、そんなことに悩んでしまうのです。悩みますと自然とナンマンダブツ・ナンマンダブツとお念仏がこぼれるのです。有り難いことにお念仏の中に法句経の一句が思い出されるのです。


他人の過ちを見るなかれ
他人の成さざるを責むるなかれ
己が何を成せしかを
自らに問うべし

釈尊は他人の過失やいたらぬ点を見ないで自分をしっかり見なさい。他人を咎めたり批判をするよりも自己批判を強くしなさいと教えてくださったのです。そうでした、そうでしたと頷くなかに、偉大な作家である故吉川英治さんが「我以外皆師」と申されましたが、吉川英治さんのような周りから先生といわれるような方でさえ、他人を咎めたり批判などしないで"皆が我の師である"と謙虚な心をお持ちになられていたのだと知らされますと、何か心の安らぎを覚えるのです。有り難いことです。合掌

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