相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『吾唯足知』(2009年2月 1日)

同じ逆境にあって
感謝と悦びで過ごす人あり
不平と不満で過ごす人あり

 オバマ、アメリカ大統領の誕生によって、アメリカのみならず世界中が百年に一度と言われる不況や不安を彼なら解決してくれると、彼のカリスマ性に期待を寄せていますが、相変わらず暗いニュースばかりが流れ、国民の多くが不安を抱え、事態は深刻であります。私にこうした逆境の中に生きる力を与えてくださるのは、私の人生に光を与えてくださるのは、まさに仏の教えであります。釈尊は「足るを知らざる者は、富めりといえど貧し。足るを知るものは貧しといえど富めり。」とお教え下されました。心の持ち方、物の見方、味わい方を正しく仏の教えに照らして見ることが大切なのでしょう。
 今年も門前の紅梅が可憐にほころび始めました。私の心も自然と温かくなります。紅梅は夏の酷暑にも耐え、害虫などの障害にも負けず、車の排気ガスにも耐え、激寒も乗り越え、そうした苦労を少しも苦労とせず、優しく明るく微笑んでくれています。この紅梅は5~6年前の夏。移植するにはあまりにも過酷な時期かと思いましたが、事情があって仕方なく移植をしたのです。私には事情がありましたが、梅にはなんの事情もなく、突然勝手に安住の地を追われ、悲しく辛く迷惑なことであったと思うのです。梅に対して悪かったな。許してくれよ。頑張れよ。負けるなよ。と毎朝散水しながら元気を取り戻すことを念ずることしか私には出来なかったのですが、見事に期待に応えてくれて、今年も私の心と目に悦びを与えてくれているのです。深い事情があっての移植とは言え、梅は根を切られ、枝を落とされ、日当たりの良い安住の地から日当たりの悪いところに移されながらも、不平も不満も言わずに根は根としての、幹は幹の、枝も葉もそれぞれが自分の役目をしっかり勤め見事に生き抜いたのです。私の願いにも応えてくれたのです。
 それに比べて私はどうでしょう。寺のためと思い進めていた計画や与えられて励んでいる仕事が苦況に追い込まれたり、他人からあれこれ中傷されたり批判を受けると途端に落ち込んでしまうのです。そして私が僧侶になることを決意したときに親からいただいた言葉「坊主は思想家でなければならない。寺は混迷したこの世を救うことが出来る唯一の機関であり、道場である。この事を忘れず励めよ。」と親の熱い願いの中に生かされながら、親の悲願に何一つ応えられない情けない自分に気付かされたのです。門前の紅梅によって気付かされたのです。親の願いのみならず、阿弥陀如来からも願われ続けていた自分に気付かされたのです。
 阿弥陀如来はこんな私を見捨てることもなく、諦めることもなく、真実に目覚め、念仏の中に生き甲斐のある感動の人生を送ってくれよと願い通していてくださったのです。如来の願いに気付かされナンマンダブツ・ナンマンダブツとお念仏申すとき、どんな逆境にあっても力強く今日を生きる力が湧いてくる思いであります。合掌

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