相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『和顔愛語と少欲知足』(2009年1月 1日)

念佛で迎えし春のこころざし
和顔愛語と少欲知足

 暮れにある農家さんを訪ねますと、春の七草の盆栽を作っておられました。"セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ"の七種。名前は皆かわいいのですが、私にはあまり可愛い草とは思えません。なぜ春の七草ともてはやされるのでしょうか?それは、「セリナズナ・ゴギョウハコベラ・ホトケノザ・スズナスズシロ・春の七草」と短歌の型になっていて口ずさみやすいことと、なんと言っても春の七草は皆凍てつくような真冬の大地にしっかりと根を下ろし、冷たい雨や雪にも、寒い寒い北風にも負けず、すくすくと育つその強い忍耐力、精神力に人は心打たれるからでしょう。愚痴も言わず、逆境にも負けず、頑張る姿に人は感動を覚えるのです。ですから人は春の七草の忍耐力にあやかって、七草粥を食べて一年を元気に健康に何事にも負けない精神力で励もうと願うのでしょう。
 昨年はアメリカの経済政策の失敗からでしょうか。世界中が経済不況に陥り、ニュースと言えばこの事に関した暗いことばかりが報道され、倒産する会社も多く、世界に名を轟かす大企業までが倒産に追い込まれ、職を失った方もたくさんいました。リストラや内定取り消しが社会問題になりました。その苦しみから自ら命を絶った方も数多く、悲しいかぎりです。本年も景気回復の兆しが見えないようですが、新しい年を迎えますと、不思議に世の中がどうあれ春の七草のように逆境に負けない精神力で希望に燃えて頑張ろうという新しい心が芽生えてくることは不思議ですし嬉しいことです。
 ただ、私は頑張るだけでなく、物の見方や考え方を変えてみる必要があると思うのです。変えてみる必要と言うよりも正しく見ることが大切であると言った方が適切でしょう。不況だ。不景気だ。どん底だ。生きていけないと言うけれど、何と比較して言っているのでしょうか?苦しかった時代を思いおこしてください。私たち日本人はあまりにも贅沢を覚え、高慢に成り切ってしまったのではないでしょうか。今こそ"消費者は神様です。""使い捨ては当たり前"という考えを捨てて、物には命がある。物を大切に、物を生かし切ることを考え、物に恵まれ経済が豊かになることが幸せであるという考えから心の豊かな生き方を考える必要を感ずるのです。釈尊は「足を知らざる者は、富めりといえど貧し。足を知るものは、貧しといえど富めり」と言われました。親鸞聖人も「少欲知足(しょうよくちそく)にして染・恚・痴(ぜん・い・ち)無し。和顔愛語(わげんあいご)にして意(こころ)を先にして承問(じょうもん)す。」(教行信証・信巻)とお示しくだされました。「そうでした。そうでした。大切なことを忘れていました。恥ずかしいことでした」と気付かされますと、ナンマンダブツ・ナンマンダブツとお念仏がこぼれる中に宮沢賢治さんの"雨にも負けず"の詩が思い出されました。「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず 野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに わたしは なりたい」こういう方もおいでになりましたし、少しは見習う必要があるのではないでしょうか。合掌

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