相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『恩を思う心を大切に』(2008年10月 1日)

恩に報いることは
出来なくとも
恩を思う心を大切に

 他人が羨むような立派な大きな豪邸に住む友人を訪ねると、彼は庭の掃き掃除をされていた。私の顔を見るなり「毎日毎日、掃いても掃いても後から後から落ち葉で汚され嫌になるよ。」とこぼされるのです。お茶をいただきながら「君が先ほど掃いても掃いても落ち葉で嫌になると言われたが、私も前はそうでしたが最近気がつかされたのです。それは嫌になる落ち葉も、春は新緑となって私の目を楽しませてくれたのです。夏は木陰を作って私の体を休ませてくれたのです。秋は紅葉となって私の心を癒してくれたのです。一年を通して酸素を私に提供してくれたのです。私は大変大きな恩恵をいただいていたのです。そしてその木は自分の一年の働きを充分つとめて静かに休息にはいるのです。そう思うと今ではご苦労様でした。静かにゆっくりお寛ぎください。お休みくださいという気持ちでお掃除させていただいているのです。」と話すと、彼は「なるほど本当ですね。明日から私もそうした気持ちでさせてもらいます。」と言ってくれたのです。
 帰りの道中、彼に偉そうなことを言いましたが、親や如来様へのご恩をすっかり忘れている自分ではないのかと考えさせられたのです。母はあるホームでお世話をしていただき、ヘルパーの方々や妹が毎日顔を出してなんとかお世話をしてくれるので、それに甘えて私は母に会いに行こうともしない薄情者なのです。家内に促され時には会いに行くのですが、行けばいつも笑顔で迎えてくださり、私のするほんの細やかなことにも"ありがとう"と言ってくださる。また母には言葉ではとても言い尽くすことの出来ないご苦労をおかけし、お世話にもなったのにその苦労を当然のこととしか思っていないのでいまだかつて一言のお礼も言ったことがない、情けない恩知らずな私なのです。不思議な深いご縁で寺の住職をつとめさせていただいていますので、

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし

と歌ってはいるのですが、口先だけで仏法を食い物にしている私なのです。恐ろしいことです、情けないことです、恥ずかしいことです。申し訳ないことです。懺悔の念仏がこぼれます。ナンマンダブツ・ナンマンダブツ。合掌

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