相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『他人の批判より 我が身の批判』(2008年9月 1日)

他人の批判より
我が身の批判

 酒が進むにつれ、友がマスターに「この焼き鳥は中国産じゃないのか?」といちゃもんを付ける。「牛肉や鶏肉がどこ産なのか素人に分かるはずはないし、中国産のウナギと日本産のウナギが見分けられるはずもないことを良しとして、このごろの商人は良心のかけらも無いのか、仕事に対するプライドを失ってしまったのか、ただ儲けることばかり考えてラベルと中身が違うものを平気で売っている。俺は許せん!日本人はもっと真剣に怒って、老舗だろうが何であろうが悪徳業者は徹底的に責任を追及して許してはならない!」といきまいた。
 私は何故か友が言うことに同調する気になれませんでした。私は親鸞聖人が「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄13章)と申されたお言葉が思い出されるのです。私は昔も今も人の心はそう変わるものではないと思うのです。羊頭狗肉と言う言葉があることからも昔の人も看板に偽りの商売を行っていた人がいるのでしょう。
 昨年の日本の世相は「偽」であると発表されましたが、今年に入っても相も変わらず「偽」が発覚されテレビのワイドショーを賑わしています。恥ずかしいかぎり、反省せねばと思いますが、人間の心が「偽」であることは今に始まったことではなく大和時代でも聖徳太子は「世間虚仮 唯仏是真」と申されました。世間のことは嘘偽りの仮の姿であり、真実なるものはただ仏だけでありますと、感銘深いお言葉を残されました。この事からも昔の人も「偽」の心があったことには変わりはないのでしょう。
 私は今大事なことは、ただ他人のことを批判、攻撃、追求するのではなく、他人の振り見て我が振り直せと昔の人が申されたように、他人の悪い行いを見て我が心を見つめ直すことが大切であると思うのです。自己中心で他人が見ていなければ、他人にバレなければ何をするか分からない私でした。
 聖人が「悪性さらにやめがたし、こころは蛇蝎のごとくなり、修善も雑毒なるゆへに、虚仮の行とぞなづけたる」(正像末和讃)と悲しく述懐されておりますが、この事はまさに私のことでありましたと気付かされますと懺悔の念仏がナンマンダブツ・ナンマンダブツとこぼれるのです。しかしそうした懺悔の念仏の中に有難いなぁ。お陰様だなぁ。勿体ないなぁと悦びの、安らぎの心が味わえてくるのは不思議なことです。合掌

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