相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『凡夫の自覚に立つと 励まし慰めあう心が生じ 和なる世界が開かれる』(2008年7月 1日)

凡夫の自覚に立つと
励まし 慰めあう心が生じ
和なる世界が開かれる

 悲しくも恐ろしい事件が報道されない日がありません。人はそうした世を憂えば憂うほど平和を願い安らぎの世界を求めずにおれないのですが、人はその平和と安らぎを何に求めているのでしょうか?私は仏教に求めるしかないと思うのです。
 聖徳太子は政治を司るのに仏教精神を基に十七条憲法を制定され、まず「和を以て尊しと為す」と申されました。いつの世でも人の和の心は大切なのです。その和の心を妨げるのは怒りの心でしょう。怒りの心は法律、道徳という尺度で自分を見ようとするからおこるのでしょう。法律とか道徳を物差しにして自分を見れば、たいていの人は自分は善人で、自分の行動は正しいと思うでしょう。すると他人のいたらない姿に怒りの心がおこるのでしょう。
 しかし仏法を尺度として自分を見させていただきますと、聖徳太子が「我必ずしも聖に非ず。彼必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫。」と申されました心がなるほどなるほどと知らされますし、親鸞聖人が念仏の中に煩悩具足の凡夫と、ご自身を悲しく見つめられる中「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄第十三章)とお教えくださいましたが、まさに私は条件によっては何をするやら、他人が見ていなければ何をしでかすか分からない私でしたと自覚される思いであります。こうした自覚に立ちますと、相手のいたらなさを責めるより、お互い不完全な人間だからこそ、助け合い、慰めあい、励まし合う心が湧いてきて、和なる世界が開かれるとの思いであります。いよいよ仏法聴聞に励みたいものです。合掌

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