助けられ 我慢され
赦されていた私に気付かされ
ご恩の世界が見えてきた
友人が酒を飲んで自転車での帰宅途中、電柱にぶつかり左手首を骨折された。「翌日病院へ行き、全治1ヶ月と診断されて参ったよ。俺は右利きだから左手で良かったと思っていたけど、字を書くにしても、左手が使えないと上手く書けないし、食事の時も右手だけでは本当に困る。風呂に入っても女房に背中を洗ってもらわないと洗えない。左手を1ヶ月くらい使えなくともと思ったが、左手のお陰でした。女房なんか俺が頑張って養っているんだと思っていたが、何から何まで助けられていたことに気が付きました。」とおっしゃいました。
この話を聞かされ、肝臓を患って入院された友の言葉が思い出されました。彼は奥さんを亡くされ、寂しさのあまり毎晩、毎晩、居酒屋で酒浸りになり、肝臓を悪くして入院されたのでした。ベッドに横たわり「女房が元気な頃、あまり酒を飲むな、飲むなとうるさく言っていたが、その都度、うるさい!俺の体は俺がよく分かっている。文句を言うなと怒鳴りつけてばかりいたが、俺のことを心から心配してくれていたのだと今になってよく分かった。申し訳なかった。退院したらすぐ墓参りに行こうと思う。」と呟かれ、「入院中、住職の書かれた本を何遍も何遍も読ませていただき、"助けられ、我慢され、許され、願われ続けている私でした"と気付かされました。これからは日曜礼拝にお参りしたいと言われました。
彼らの言葉は、俺が頑張っているから、俺が我慢しているから、俺が助けているからと俺が俺がの"我"で固まり、三毒の煩悩の炎を燃やし続け、不平不満の生活をしている私に、そうではないぞ、仏法をしっかり聴聞して正しく自分の姿に気付けよの如来様の御催促のように聞こえるのでした。そこに、
助けているのではない。助けられていました。
我慢しているのではない。我慢されていました。
守られ通し、願われ通しの私でした。
たくさんのご恩の中に生かされている私でした。
お陰様の世界が味わえ、
ご恩の中に生かされる世界が見えてきます。
ふしぎと心和み、心豊かな、心安らかな思いの中に、
感謝のお念仏がこぼれます。ナンマンダブツ・ナンマンダブツ 合掌