相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『助け合い、慰め合い、励まし合う心を大切に』(2007年11月 1日)

助け合い 慰め合い
励まし合う心を大切に

 あなたは人から馬鹿呼ばわりされたら、どうなさいますか?「お前ほど馬鹿な奴は見たこと無い!」「お前ほど根性の腐った奴は見たこと無い!」それも人前で罵られ、虚仮にされたらどうしますか?腹が立つでしょう。しばらくは夜も眠れぬほど悔しい思いをするのではないでしょうか。
 先月行われたボクシングの世界チャンピオン防衛戦に、美事勝利された"内藤大助選手"に私は教えられることが多々ありました。彼は子供の頃、いじめに会い続け、強くなりたいと20歳からボクシングを始め、33歳にしてチャンピオンになられたと言います。彼の言動から、彼は体を強くするだけでなく、心の強さも常に磨かれたと思うのです。試合前、彼は15歳年下の挑戦者に"お前"呼ばわりされ、ゴキブリ扱いされ、ゴキブリに負けたら切腹するとまでひどいことを言われても、冷製に笑顔で「ずいぶんの心臓ですね」と返されていました。試合が終わって大差で勝っても、「皆様のおかげです。国民の期待に応えられて良かった。」とだけ言われ、余計なことは言いませんでした。大変な反則を犯して負けた挑戦者が、親子で謝罪のためにマスコミの前に姿を現されたその時の感想を記者に問われても、「あのときの強がりはどうした。切腹でもしてみろよ。」などとは言わず、彼に対する謝罪の言葉はなかったにもかかわらず、「頭を丸め、終始うつむいて言葉も出ない。あぁずいぶん苦しんでいるんだなぁ。反省しているんだなぁと言う心は伝わりましたよ。」と言われ、「今度彼に会ったらどうします?」の質問にも、「"この前はお疲れさま。"って言うかな。」と答えられた。
 私はこんなに馬鹿にされた相手に、内藤選手のような温かい思いやりの心が起きるでしょうか。とても起きません。坊主でありながら恥ずかしいことだと思いました。その時、大無量寿経の中の
和顔愛語 先意承問(わげんあいご せんいじょうもん)
のお言葉が思い出されました。優しい笑顔、温かい言葉、人を思いやる心と言うことですが、私は何時でも何処でも誰にでもこの事、この心を大切にしようと心がけているのですが、大変難しいことです。何故難しいかと申しますと、私は自己中心で、"俺が、俺が"の我執にとりつかれているからだと思うのです。
 ではどうしたらよいのでしょうか?聖徳太子のお言葉が思い出されます。聖徳太子は十七条憲法の十条で
我必ずしも聖に非ず。彼必ずしも愚に非ず。共にこれ凡夫のみ
と申されました。お互いに不完全な人間であると言うことであります。
 親鸞聖人は、一念多念文意(いちねんたねんもんい)で、
「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」
と厳しく指摘下されました。よくよく味わねばならないお言葉です。私もこうした身でありますという自覚に立てれば、相手の到らぬ点も失敗も、私にもそうなる可能性は充分にあります。共に同じですと思いやりの心で受け止めることができるのでしょう。そこにお互い助け合い、慰め合い、励まし合う心が生まれるのではないでしょうか。合掌

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