相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『地獄・極楽 何処にある 私の心の内にある』(2007年8月 1日)

地獄・極楽 何処にある
私の心の内にある

 夏の蒸し暑い夕べ、友とジョッキで乾杯のあと友が「ところで今年もお盆が来るけど、地獄、極楽って本当にあるのかな?」と言われる。私が「君はどう思う?」と問い返すと、友は「地獄も極楽も無いと思う。」と言われる。私はふとある人のことを思い出して、友にその方のことを話させていただきました。


 中学2年、小学5年、小学3年の3人のお子さんに恵まれ、明るく強く頑張っておられる女性の話です。小学校3年生のお子さんは知的障害のため、特殊教室に通われていまして、毎日お母さんがお子さんの送り迎えをされているのです。その上、85才になる義母は認知症が進み、オムツをされての生活で、食事もご自身ではできないのです。ご主人は東京の会社に勤めているので、朝早く出かけ、帰りはいつも9時を過ぎるのです。ですから、お子さんのこと、母のこと等、すべて奥さん1人でこなさなければならないのです。私が「大変ですね。」と言うと、「健康な体に恵まれましたし、週末は主人も何かと協力してくれるし、中学2年の娘もよく下の子の世話をしてくれるので助かるのです。有難いです。」と言われ、そして「知的障害のお子さんや、認知症の母のお世話は大変でしょう。と皆さん言ってくださいますが、子供を育て母の世話をさせていただく中に教えられることが沢山あるのです。喜びを与えられることも沢山あるのですよ。」と明るく笑顔で話されるのです。


 この女性のように受けねばならない業、その業の苦しみを逆に、教えられることがあります。喜びが味わえますと苦を楽に変えていく人生は素晴らしいと思いませんか。業の苦しみを楽にする生活これこそ業苦楽(極楽)ではないでしょうか。


 逆にこんな例もあります。一人息子はすでに大学生、何一つ手がかからない。しかし最近80才を過ぎた母親に認知症が現れ、訳の分からぬ事を言ったり、下の粗相をするようになった。奥さんは文句を言いながらも仕方なく下の世話をするのですが、会う人会う人にイヤになると愚痴をこぼすのです。疲れて帰ってきた旦那さんにも愚痴や怒りをぶつけ、「妹が二人もいるのだから、あなたから交代で母の面倒を見るように言ってよ!」と言う。「妹の所もそれぞれ病身の親を抱えて大変なんだからそんなこと言えるか!」と旦那さんは突っぱねるのだそうです。ですから夫婦間の争いも絶えないのです。


 こうして自分が受けねばならない業によって、益々苦しみの生活を送るようになるのです。この姿が自業苦(地獄)と言うのでしょう。友にこんな話しをしながら、曽我量深先生のお言葉が思い出されました。


「地獄は言葉の通じない世界。極楽は言葉の不要な世界。」


今年もお盆を迎える中に故人を偲び、故人の願いを聞かせていただき、仏法を聞かせていただき、地獄、極楽の世界を味わってみたいと思います。合掌

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