相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『恩にきせることは知っているが 恩に報いることを知らない』(2006年10月 1日)

恩にきせることは知っているが 恩に報いることを知らない

 当寺は神奈川県の秦野市とその近辺を合わせますと数十件のお檀家さんがあり、法事で訪れると秦野市には"浄土真宗"のお寺さんは無いんですかね?とよく聞かれました。私も20数年前から秦野市にはボーイスカウト活動で足を運ぶことがあり、その頃から秦野市に浄土真宗を弘めることを考えていました。
 時機到来というか、その機縁が熟したのでしょうか。秦野市渋沢に寺の別院としてはあつらえ向きの瓦敷き白壁で囲まれた入母屋造りの家が見つかり、9月28日親鸞聖人のご命日に入仏法要を勤めさせていただくことが出来ました。月末のウィークデイにもかかわらず40数名の方々が参詣くだされ、別院の責任者として着任した高島弘文が
「母から贈られた"懐恩"の二字が書かれた額を玄関に掲げ、「親をはじめ、たくさんの方々の深い大きなご恩を忘れている自分に気がつかされた。そんな自分が恥ずかしい。インドで消え、中国で亡び、日本で解体しようとしている仏教をなんとか伝えることにこの別院で努力し恩に報いたい。」と決意を述べられた。息子の決意を知り、私は大変嬉しく思うと同時に、私も恩を忘れていた自分に気がつかされました。お仏飯で育てられ、寺で生活をさせていただいているので、
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし
と歌わせていただいてはいますが、口先だけなのです。そんな自分が情けなく恥ずかしい思いでいっぱいになりました。聖人が臨終を迎えるお姿は、口に世辞をまじえず、ただ仏恩の深きことだけを述べられ、口に余言をあらわさず、ただお念仏がたえる事はなかったと言うことです。私も残された人生、仏恩の深きことを思い、たくさんの方々にいただいた恩を忘れず、念仏の大道をしっかり歩んで参りたいものです。合掌

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