相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『幸せになれよと願われ続けている私でした』(2006年7月 1日)

幸せになれよと 願われ続けている私でした

 ある事件で保護観察を受けている少女が父親に連れられて相談に来られました。この少女は今までの行動を深く反省し、真面目になろうと努力をされています。大学受験をひかえ、私も少女の母親も優しく頑張ってねと励ますと、この少女は頷くのでが、いざ勉強机に向かうと何も分からないから死ぬほど苦しく、悩み、足・腰が痛むと泣いて訴えるのです。今までの遊び友達といるときが一番心やすらぐというのです。どうしたら良いのでしょうか?
 自分の気持ちをやさしく聞いてくれる友を欲しがり、その友といるときが一番楽な気持ちになれるのは当然です。しかしそれは本当の心のやすらぎではないのです。一時しのぎなのです。なぜならその友といつまでも一緒にはいられないし、別れればまた余計さみしく、苦しくなるのです。辛くとも苦しくとも今は前を向いて勉強しようという努力が大切なのです。良い成績が取れるか取れないかは別なのです。君なりに他人との比較ではなく、前を向く意欲が大切なのです。そうすれば自ら道は開かれてくるのでしょうと、私の気持ちを伝えることしかできませんでしたが、親のどこまでも我が子の幸せを願う気持ちが大変尊く感じられました。
 かく言う私も、今年亡き父の十七回忌を迎えますが、その父が30数年前に手紙に託して私に願いを残してくださいました。その手紙を思い出し、懐かしく読ませていただきました。眠れぬ思いで私の僧侶としての将来を案じてくださっていたことに、あらためて涙する思いでありました。
 仏教は印度で消え、支那で亡び、今、日本で解体せんとしている。街に出て見よ。何処に念仏の声が聞こえるか。合掌の姿が見えるか。寺の中にすら世渡りのための仏法を食い物にして何等恥ずることも知らぬ寺族に汚されている。だが然し仏法の命はまだ枯れきってはいない。釈尊の金言を忘れず、唯仏恩の深きことを思い、御身の青春を一筋にこの道にかけてくれ。坊主こそ唯一の生き甲斐のある仕事だ。坊主こそ最高真実の聖業である。坊主こそ自他共に救われる道と思う。寺こそ今日の混沌せる世界を救う唯一の張り切った機関であり道場である。このこそ坊主がふえた時、真宗が生き返る。よくよく思案して悔いない生涯を生きてほしい。
 こうした旨の手紙でありました。今も父のことを思うと、念仏忘れるなよ!の厳しくも優しい父の声が聞こえてくるのです。いつまでも一時も忘れることなく、私の幸せを願い続けてくださっているのですね。
 親鸞聖人も比叡山での20年間にわたる命がけの難行苦行の末、「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」と煩悩を捨てきれない我が身を悲しまれ、道を求める壁にぶつかられるのですが、阿弥陀如来のそうした煩悩具足の凡夫を救わずにはおかないと誓われる本願に出会われ、砂地に雨が染みこむが如く、聖人は心にやすらぎと悦びを得ることが出来たのでしょう。そのことを聖人は、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と、常に御述懐されておられたと歎異抄後序に述べられておるのです。
 阿弥陀如来は何時でも何処でも誰にでも必ず救うと、私の幸せを願い続けてくださっているのです。有難いことです。かたじけないことです。お念仏が自然とこぼれます。ナムアミダブツ・ナムアミダブツ

合掌

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