相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『何の為に生まれ、何の為に生きているのか』(2006年6月 1日)

何の為に生まれ 何の為に生きているのか

 先週の日曜日、寺の世話方のお嬢さんの結婚披露宴に出席をさせていただきました。このお嬢さんは子供の頃からクラシックバレーを習い続け、今では指導者として頑張っておられますので、バレーをなさる若く美しい方が大勢お祝いに来られていました。驚いたのは、オープニングセレモニーで入り口の扉が開かれると、2人のダンサーが躍り出て、見事な素晴らしいバレーを披露されました。拍手喝采のなか、今度は新郎新婦が仲睦まじくダンスをしながらの入場でありました。こうしたオープニングセレモニーは初めて経験しました。披露宴の内容も種々アイデアが盛り込まれ、大変楽しく素晴らしい披露宴でありました。
 楽しいだけではなく深く考えさせられることも2点ありました。1点はオープニングで見事なバレーを披露されたおふたりは誠にしなやかなすらりとした美しい容姿で、まさにクラシックバレーを踊る為に生まれてきたような方だなぁと感ぜられたのです。そんなことを感じたら、私は何の為に生まれてきたのであろうか?と考えさせられたのです。今、私は、深い大きなご縁をいただき、本弘寺の住職をつとめさせていただいてはいますが、住職をつとめる為に生まれてきたと言えるでしょうか?はなはだ疑問であります。さらに深く仏法聴聞に励み、親鸞聖人の教えをひとりでも多くの方と語り合うことに努力することに心せねばならないと思いました。
 もう1点は新郎新婦は結婚を前提に1年間交際を続けてきましたが、残念ながら一度別れたことがあったそうです。しかしその別れから3日後、偶然小田急線の新宿駅で再開されたのです。お二人ともその日の予定を変更しての再開だったのです。お二人はこれこそ神の思し召しと深く感じ結婚を決意されたのでした。素晴らしい出会いだったなぁと感動しながら話を伺いましたが、その時出会いの大切さを痛感したのです。
 人生には種々な出会いがありますが、私は何の為に生まれてきたのか?何の為に生きているのか?こうした簡単には解決できない大事な問題を悩みながら、苦しみながら真摯に求めていますと、必ず一筋の光に出会うことがあると思うのです。その出会いは一人の師かも、あるいは一冊の本かも、あるいはある人のたった一言かも分かりませんが、そのことによって私の歩む道が定まるのです。迷うことはなかった。私はこの道を歩むという確信がいただけるのです。揺るぎない安らぎの心が味わえる、そうした出会いを求めたいものです。
 私は世間のことに振り回されながらも今日も念仏の大道を歩まさせていただいています。
ナンマンダブツ・ナンマンダブツ

合掌

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