相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『大きな願いをかけられていただいた命』(2006年3月 1日)

春が訪れ 梅の花がほころんだ 不思議でたまらない

 ことのほか寒さ厳しい冬でしたが、今年も春の訪れが感じられます。そんな中、境内の紅梅が遅ればせながら、一輪、二輪かわいらしくほころび始めました。この事は決して当たり前ではありません。春が訪れるのも、梅の花がほころぶのも、私は不思議でなりません。梅の花がほころぶことができたのは、車の排気ガスにも負けず、害虫にも負けず、厳しい寒さにも耐えられたからであります。そして忘れてはならないことは、天地自然の不思議な大きな恵みを賜わることができたからであります。しかし、その恵みも良い条件ばかりではありません。夏の酷暑も冬の厳寒もありますが、それも天地自然の有難い恵みと素直に全てを受け入れられたからであります。自然界から学ぶことは多いですね。
 私の生命は不可称、不可説、不可思議なご縁の中に、大きな願いをかけられていただいた命であります。そして、その命は私の命ではありません。お預かりした尊い命であります。お預かりした命ですから、返せよの催促が来れば今晩にもお返ししなければならない命であります。返せよの催促がいつ来るかは誰にも分かりません。分からないから、今が大切になり、どう生きるかが大切な問題になるのでありましょう。
 生まれたことと死ぬことは、全ての人に共通したことでありますが、異なることは生と死の間、すなわち今です。今をどう生きるかが異なる点であります。人は不治の病にでも陥ると、なぜ私がこんな病に苦しまなければならないのだと、元気な人が憎らしく思えたり、経済的に苦しむと、社会が悪い、政治が悪いと他を恨み、何かと自分の都合の悪いことが起きると、すぐ不平、不満、愚痴をこぼし、自暴自棄に陥り、ますます苦しみ、惨めな思いになるのであります。
 阿弥陀如来はそうした衆生を哀れみたまいて、見捨てはしない、必ず救うとお誓い下され、今も働き続けてくだされておるのです。仏の慈悲の声に耳を傾けようではありませんか。仏法を聴聞させていただきますと、人生には様々な避けることのできない苦しみが起こりますが、逃れることができない苦しみから逃げよう、避けようとするから、いよいよ苦しむのですよ。そのまま、そのまま怖がらず、しっかり受け入れなさいと優しく囁く仏の声が聞こえてきます。何か安らかな心になれる思いであります。仏の声を聞かせていただくと、夫婦となり、親子となり、兄弟、友達、師弟となるには、深い不思議な大きなご縁があったのでしたと知らされ、人を思いやる心が温かく湧いてくるようです。与えられた仕事も、ただ金儲けのためにだけではなく、世の中の要求に応えたい。他人様の役に立ちたい。という心が、深まる思いであります。何事にも背伸びすることなく、卑下することもない、今のままで、そのままで良かったのだ。そんな私をいつも仏様は温かく見守って下さっていると力強い安心を味わうことができる思いであります。そこに苦しみが無くなるわけではありませんが、苦しみを抱きながらも、充実した納得のいく人生が開かれるのであります。
 春の彼岸がまいります。静かな心で自分を見つめ、仏法に耳を傾けたいものです。当寺では、彼岸法要を3月21日午後1時30分より厳修いたします。
合掌

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