相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『気が付けば 全てがお陰様』(2005年10月 1日)

あなたが頼りにしているものは 本物ですか?

 墓参りに来られた女性が、寺のお手伝いさんにマッチを借りたのでしょう。「マッチありがとう。ライター持ってきたのに火がつかなかったの。」と言う甲高い声が耳に入ってきました。「ライターがつかなかったの。」なんでもない会話ですし、聞き流すのが普通でしょうが、そのとき、その会話によって私は深く考えさせられたのです。お顔が見えないので、どなたか分からないのですが、その女性はお花を求め、お線香を用意し、ライターを持って墓参りに来られ、お線香に火を付けようとしたがライターが役に立たなかったのです。私たちの人生もこれとよく似ているのではないでしょうか?
 私たちは日常、何を頼りに生きているでしょうか?いざというときに何の役にも立たないものにしがみついてはいないでしょうか?私たちは自分が学校で学んだ学問や人生の経験を通して得た知識、そうした眼(まなこ)で幸せを考え、幸せを求めてはいないでしょうか?そこには財産だとか、権力だとか、愛だとか、そうしたものをつかめば幸せであると思いこむのです。確かに一時は財産にしても、権力にしても、愛にしても、大きな力を発揮し、素晴らしいものを味わうことはあるのですが、残念ながらいつまでも続くものではないのです。必ず崩れ、必ず失うのです。結局は歴史も教えてくれていますが、財産、権力、愛によって泣かねばならないのが人生です。それでは本当に頼れるものは有るのか?無いのか?有るとすればなんであるのか?
 浄土真宗の八代目の上人、蓮如上人は「お文一帖の十一 電光朝露」(意訳)で
「人間はただ雷光朝露の夢幻の間の楽しみである。たとえ、栄華栄耀の思うままの人生を送れたとしても、それは50年ないし100年のことである。たった今、無常の風が吹いて来れば、どんな病気で苦しむか、そして死んでいくときはかねてより頼みにしていた妻子も財産も、何1つ力にはなってくれないし、三途の大河をたった1人で寂しく渡っていくことになるのです。だからこそ、今こそ深く願い求めなければならないのは未来永劫無量の命であります。また、本当に頼みにできるのは阿弥陀如来だけであります。そして阿弥陀如来の本願をいただいて参るところは安養の浄土と思うことです。」と、お示しくださいました。そうした人生の一番大切なことを仏法聴聞の中に求めさせていただくことが、彼岸会法要です。当寺では9月23日午後1時30分より厳修いたします。

合掌

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