相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『ありがたい おかげさまで もったいない』(2005年8月 1日)

ありがたい おかげさまで もったいない
この言葉の心を味わえる人には 争いはない 平和である

 7月13日、ある老人ホームでお盆法要をつとめさせていただきました。法要が始まる前、お茶をいただきながら女性職員よりこんな話を聞かせていただきました。「誰しもがこのホームに入所されたときは大変喜ばれるのです。それもそのはず、ほとんどの人が家庭にあって、家族から冷たく邪魔者扱いにされ、孫からも馬鹿にされている。あるいは身よりもなくなり1人で生活ができなくなった人ばかりですから。それがこんな近代施設に入り、しかも1人部屋で冷暖房完備、食事も栄養士の方が個人個人の健康を考えながら作り、上げ膳、据え膳です。まさに極楽です。入所当時はそれはそれは喜ばれ、感謝されるのですが、3ヶ月もすると、"こんな物が食えるか!!"うまいとか不味いとか不満を言い出し、職員の態度にまで、ああだこうだと文句を言うのです。そして老齢とはいえ男と女の世界ですから、自然と異性への関心が高まり、嫉妬の炎を燃やし、喧嘩が絶えないのです。」
 話を伺って、なるほど家族から冷たく邪魔者扱いをされるのも、家族だけが悪いのではないな。嫌われるには嫌われるだけの理由があるのだなと思いました。また、環境、境遇の大切さを思わざるを得ないのです。家庭にあって、家族から大事にされ、孫達にもおじいちゃん、おばあちゃんと慕われていれば、異性への嫉妬心で争うこともないのではと思うのですが、親鸞聖人が、
「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいおたるまでとどまらず、きえず、たえず」
『一念多念文意』
と申されたお言葉にも深く頷かされますので、やはり凡夫はどこまで行っても凡夫なのでしょうか。それにしても、仏法は若き内にたしなめと申しますし、仏法聴聞の大切さを痛感せずにおれません。私の知人のおばあさんは90才を過ぎまして認知症で、あるホームにお世話になっておりますが、若い内から熱心に仏法を聴聞された方で、仏法が身に付いているとみえ、家族や知人が訪れてお世話やお話し相手になると、ささやかな事にもひとつひとつ「ありがたいことです。勿体ないことです。おかげさまです。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と明るくお念仏の中にほほえみが絶えないのだそうです。ですから家族の方もおばあちゃんに会いに行くのが楽しみだと言われます。
 煩悩は捨てきれない私ではありますが、仏法聴聞の中に、正しく物を見、正しく味わえる人生を過ごしたいものです。そこに何事にもありがたい、おかげさまでもったいないと悦びの人生が開かれるのではないでしょうか。

合掌

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