相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『恩に報いることを知らない』(2005年7月 1日)

恩に着せることは知っているが
恩に報いることを知らない

 先日73才の男性の葬式を勤めさせていただきました。彼は、しばらく入院生活を送っていましたが快方に向かわれ、1週間後には退院と言われながら、急変して亡くなられたのです。家に帰りたい、帰りたいと口癖のように言われていたので、ご遺体は1週間程ご自宅に安置され、7日目に葬式が厳粛に行われ、荼毘に付されたのでした。
 驚くというか、教えられましたのは、その男性が可愛がっていた愛犬が、ご遺体が家に戻られると、ご遺体の胸の部分に悲しそうにしがみつき、弔問に訪れた方がご遺体をさわろうとすると、うなり声を上げて怒り、さわらせようとしないのです。食事もほとんど口にせず、好きな散歩に行こうと言っても行こうともしないのです。忠犬ハチ公のことが思い出されました。
 東京大学の上野博士に可愛がられたのもわずか1年と4~5ヶ月のことでありましたが、博士が出先にて脳溢血に倒れ急逝されると、ハチ公は通夜葬儀の間、食事も口にせず、家族が浅草に引っ越されたあとも毎晩8キロも離れた渋谷の駅まで走ってでかけ、ハチ公の心情を思う家族によって代々木に住まわれる知人の家に預けられたあとも、昭和10年に13年間の生涯を終えるまで、寒い日も、暑い日も、雨の日も、雪の日も渋谷駅の改札口に座り、主人を待ち続けられたと言います。犬でもわずか数年可愛がられればその恩を忘れないのです。その点、親の恩は海より深く、山よりも高いなんて偉そうに言っている私はどうでありましょうか?親の恩どころか、親を忘れた日暮らしなのです。


如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし


師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし


と、歌ってはいますが、とてもとても身を粉にも骨を砕くこともできません。それどころか上の空の私であります。ワンちゃんにより、そんな私に気付かされますと、ただただ懺悔(さんげ)の念仏がこぼれるのです。ナンマンダブツ・ナンマンダブツ

合掌

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