相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『如来の慈悲の心にいだかれている』(2005年6月 1日)

苦の連続、迷いの連続の私の為に
佛は共に苦しみ、教えを説きたもう

 1年前に息子さんを亡くされたお母さんが、墓参りに来られ、涙ながらに語られました。「息子を自殺に追い込んだのは私なのです。ボランティア活動で、他人様のことはいろいろお世話ができたのに、我が子のことに心をかけることを忘れていたのです。もう少し心をかけていたら、我が子は自殺なんかしなかったのに・・・」「私が反対したのに、主人が子供に独立心を持たせようと外に出さなかったら、こんなことにはならなかったのに・・・なぜもっと強く反対できなかったのだろうか・・・あきらめきれない」と、自分を責め立てポロポロ涙を流すのでした。
「あなたは自分を責めることも大切かもしれませんが、毎日毎日、自責の念にかられ、涙を流し、夫婦喧嘩が絶えないとなったら、亡くなったお子さんはもっともっと悲しむのですよ。お子さんの死はあなたに仏法を聴けよの催促かもしれないし、仏法を聴かせていただき、あきらめるのでは無く、苦しみの人生を明らかにきわめて欲しいとの、お子さんの死を持っての願いかもしれませんよ。」と、私も切ない思いで日曜礼拝や、定例法話にお参りしてくださいと勧め、人生を共に語り合いましょうと励ますことしかできませんでした。
 私も5人の子供と6人の孫に恵まれましたので、悦びも与えられますが、同時に様々なことで、心配したり、悩んだり、腹を立てたりするのです。寺の運営の難しさや、教化の迷い等で頭悩ますことも多いのです。他人との人間関係で悶々たる一夜を明かすこともあるのです。そうした苦しみ、悩み、迷いが仏法聴聞の機縁になっているのでしょう。そうした苦しみの中に聞こえてくるのは、


煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもて、そらごと、たはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞ、まことにておはします。


との、親鸞聖人の厳しくも優しく語りかけてくださるみ教えでありました。そこに唯々、ナンマンダブツ・ナンマンダブツとお念仏がこぼれてくるのであります。かたじけなくも如来の慈悲の心にいだかれている私でありました。
合掌

最近の記事

月別アーカイブ