相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『陰の声』(2004年10月 1日)

陰の声を聞くのは
つらいが
その声を聞いて
人は人になる

 散歩の途中で寄った公園の中の小さな喫茶店でのこと、コーヒーを味わっていると隣の席から四十代くらいの女性三人の会話が聞こえてくる。

女性その1
 「Aさんたらいつもブランド品で身をつつみ、化粧も厚く着飾って、贅沢に高級店しか行かないようなことばっかり言っているのに、先日ある用であの人の家に行ったら玄関は何足も靴が脱ぎ散らかり足の踏み場もないのよ!部屋の中は新聞や雑誌や衣服までが散乱していて掃除なんかしていないのよ。あれじゃ旦那さんが可哀想ね~」

女性その2
 「そう言う人って多いのよね。外ばっかり気にして内のことはまったくひどいのよね~やぁね、少し注意してあげたら?」

これが女性の井戸端会議かと面白く聞かせていただいた。

 先日ゴルフの帰りに友と酒を飲んだ。その席で共通の友であるBさんのことが話題になった。「彼はあれだけの会社を経営し、ロータリークラブの会員になり、紳士面をしているけど、この前ゴルフを一緒にした時、OBゾーンに入ったと思われるボールを探しに行ったらズボンのポケットからボールを落として、あっ!あったあったセーフだと大きな声で言うんだよ。彼は紳士だと思っていたけどがっかりしたよ。彼の会社は信用できないな。」と、友が言われた。
 こうした噂話は日常茶飯事です。私も他人様から何を言われているのか分からないとつくづく思いました。しかし、人の陰の声を聞くのはつらいものがありますが、その声を聞くように努めて人は人になれるのでしょう。仏法を聴聞させていただく心も深まるのでしょう。なぜか今、親鸞聖人のお言葉がひびくのです。


「凡夫」というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず


聖人の教えに出会えたお陰様の世界が味わえる思いです。

合掌

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