相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『親の願い。仏の願い。』(2004年2月 1日)

大いなる
ハンディのりこえ
梅開く
秘めし念い(おもい)に
応えたる朝

 門前の紅梅がかわいらしく一輪、二輪とほころびはじめました。夏の酷暑にも耐え、害虫などの障害にも負けず、冬の激寒ものりこえ、そうした苦労を少しも誇ることなく、ただ優しく微笑んでくれています。この紅梅は昨年の6月30日、移植するには時期的に無理かと思われましたが、ある事情で仕方なく移植したのです。私には事情がありましたが、梅にしては安住の地を勝手に追われ、迷惑なことであったと思います。"頑張ってくれよ!""負けるなよ!"と毎朝散水しながら励ますことしか私にはできませんでしたが、この紅梅は私の期待に見事に応えてくれました。可愛いなぁ。有り難いなぁ。よく頑張ったなぁ。と眺めていますと、"馬鹿者!もっとしっかりしろよ!"と頭をガツンと殴られた気がしたのです。移植のためとは言え、梅は根を切られ、枝を落とされ、日当たりの悪いところに移されながらも愚痴も文句も言わずに、幹も枝も葉も目に見えない土の中の根も、それぞれが自分の役目をしっかりと努め、見事に花をほころばせてくれたのです。期待に応えてくれたのです。
それに比べ私はどうでしょう。私も親に大きな願いをかけれれていたのです。
"坊主は思想家であれ。"
"坊主こそ自他ともに救われる道である。"
"寺こそこの混沌とした世を救う唯一の機関であり、道場である。"
こうした願いをかけられながらも、親の悲願に何一つ応えられない自分が恥ずかしく、悲しく、申し訳ありませんと頭を下げるばかりであります。

合掌

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