如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨をくだきても謝すべし
親鸞聖人
皆様方が親しくおうたいになられております、ご存じ恩徳讃でございます。このおうたは、阿弥陀如来や善知識に対する御恩は身を粉にしても骨を砕いても報いたいと、聖人が御自身のお心をこのように正像末和讃にうたわれたことでございます。
聖人の本願に帰してからの御一生は如来の御恩を喜び、ただただお念仏を喜ばれる御一生であったと思うのです。
正信偈をお作りになられたましたときも「仏恩の深遠なることを信知して、正信念仏偈を作る」とその動機を述べられ、
歎異抄にも「弥陀の五光思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなり」と弥陀如来の大きな御苦労は私一人を救わんがための御苦労でありましたと味わわれ。
90歳で御往生あそばされるときも、「それよりこのかた口に世辞をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ、声に余言をあらはさず、もっぱら称名たゆることなし」と御伝鈔に述べられているとおり、御往生あそばれるまで仏の御恩の深きことを述べナンマンダブツ、ナンマンダブツとお念仏を喜ばれたのであります。聖人の尊いお姿が目に浮かぶ思いであります。
そうした思いの中に、恩を着せることは知っているが、恩に報いることを忘れている私に大きな反省と、仏法を深く聴聞させてもらわねばとの思いが湧いてきます。
私が聞法に励み、お念仏を喜ぶ身にさせていただくことが、私をお育てくださった方々や聖人や如来様への御恩に報いることになるのでありましょう。
合掌
11月28日は聖人の741年目の祥月御命日であります。