相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『佛の愛は全ての人に平等にそそがれています』(2003年10月 1日)

佛の愛は
全ての人に平等に
そそがれています

 8人のお子さんに恵まれたご婦人が、ある用事で来られました。8人ものお子さんを育てられ、立派に全員社会人として送り出されたのですから見上げたものです。この方が用事が済んだあと、私にこぼされるのです。「今、父親が病の床に伏しているのに、次女だけは時々顔も見せ、心配もしてくれ、力にもなってくれるのですが、他の7人は誰1人として顔ひとつ見せず、電話1本よこさず、冷たいもので、何のために苦労して育てのか・・・我が子ながら憎らしい。そんな子供たちにも財産を分けなければならないのでしょうか?子供なんかあてになりません。」そうこぼされるのです。親なら我が子へどんな仕打ちをされようと平等に愛をそそがれるかと思うとそうではないのですね。
昨日は、近くの小学校の運動会に敬老の日という事で招待された72才の方が来られ、「運動会に顔を出しましたが、私の孫がいるわけでもないので何か熱が入らず、午前中で失礼してしまいましたと言われるのです。」よく分かる気がします。
人間の愛とは所詮自己中心で、全ての人を平等に愛することは出来ないし、その時々の自分の感情でコロコロ変わってしまうのでしょう。自己中心にその時その時の感情でしか他人を見ることが出来ないので、どうしても差別や比較や依怙贔屓の心が起きてしまいます。恥ずかしい限りです。こんな私をも如来はあたたかく受け止め、必ず救うぞと誓ってくださるのでした。
 佛の愛は生きとし生けるもの全てに平等にいつでもどこにいてもそそがれていました。
如来(佛)の本願は人間の心ではとてもとらえることの出来ないあまりにも深遠にして広大なお心であります。その如来の本願に気付かされるとき大きな喜びを感ずるのであります。


合掌

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