相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『お預かりした命』(2003年9月 1日)

見つめてくれていました
聞いてくれていました 
案じてくれていました

 8月の末より毎日新聞の社会面に「追跡ネット自殺」と題した連載が始まりました。ネットで知り合った若者の集団自殺が相次ぎ、警察庁によると今年に入って既遂だけで11件32名が死亡したと言います。未遂者は集団自殺について、「一人でやるほどの決意もなかった」「一人では淋しいし怖い」そして、「みんな悩みを抱えて生きているのに俺たちだけが一歩飛び越えて死を選ぶのはなぜだろう?」と言われる。またある人は「失ってはいけない物があれば違ったかもね・・・それが無いから」と言われる。集団自殺でなく一人自ら命を絶つ人も年間3万人を超えるそうです。
 この連載を書かれる記者は少しでも自殺を防ぐ手立てを考えていきたいと言われます。私も考えさせられました。そうした中に思われることは、よく"俺の命""俺の体"だと言いますが決して"俺の命"でも"俺の体"でもないのです。私の"命""体"は深い、深い、大きな、大きな不可思議なご縁によって、お預かりした命なのです。お預かりした体なのです。俺の物ではないのです。
 俺の物ならどうしようと自由かもしれませんが、お預かりした"命""体"であったと気が付けば、大切に大事にしなければと思う心が必ず起きてくるものです。生きると言うことは確かに苦しいし、辛いことが多いです。そんなとき誰もが「自分だけ苦しむのは何故だろう」「自分は皆から見捨てられた」「自分を理解してくれる人は誰もいない」と自暴自棄になることがありますが、そうではないのですよ。仏様の教えにどうか耳を傾けてください。「見捨てはしないよ!必ず救う!」との仏様の声が聞こえてくるはずです。みんなが私のことを見捨てても如来(仏)様だけは私のことを静かに見つめてくれていました。私の悩みに耳を傾けてくれていました。私のことを案じどうしでありました。かたじけないことでありますと味わえてくるはずであります。そこに命を大切に生きる勇気が湧いてくる思いであります。


合掌

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