人生
長生きを考えるよりも
深く生きることを
考えるべきだ
先日、八十八才の幸せの家と書いて幸家(こうけ)さんという方とゴルフを楽しみました。幸家さんは大変お元気で、健康を考え週に一度はプレーするのだそうです。ですから18ホールプレー中一度もベンチに座ることもなく、元気な足取りでマナーよく素晴らしいプレーをされました。年に数回はエイジシュート(18ホール1ラウンドのストローク数が自分の年齢を下回ること。)を出されると聞いて驚きました。
私が幸家さんに「あなたはお幾つまでプレーをする自信がありますか?」とたずねますと幸家さんは「今日は元気でも明日は分からないですよ!私は1回1回を大事にしているだけです。今日こうして高島さんとプレーできることが嬉しいのです。」とこたえられました。私は幸家さんの言葉に感動し、同時に反省もさせられました。家族揃っての食事のひとときも、一人一人のちょっとした出会いも、友と酒を酌み交わすことも、孫と童心に帰って遊ぶことも、一期一会と味わさせていただき悔いのない人生を歩まねばと考えさせられました。
しかしこれで人生深く生きたかというと少し不安なのです。少し寂しいのです。やはり三帰依文の冒頭の言葉をしっかりと味わなければと思うのです。
人身受け難し いますでに受く
仏法聞き難し いますでに聞く
このことであります。不可思議な深いご縁の中に人間として生を受けることができたのです。どれだけ感謝しても感動しきれない大きな喜びであります。そしてこれまた不可思議な大きなご縁をいただき仏法を聴聞するご縁をいただいたのです。お念仏の心を聞かせていただくことができたのです。お念仏を喜ぶ身にさせていただいたのです。これほどの喜びがあるでしょうか。
このことを味わうことが深く生きると言うことだと思います。私の人生、時には悩み、苦しみ眠れぬ日もあったが、生きてきて良かった。我が人生に悔いは無い。自分の人生に納得がいくのだと思います。
合掌