相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『人間の本心は苦労することが嫌いで、損することが嫌いなのか』 (2001年5月 1日)

長男の小学校入学を記念して植えた実生の夏みかんの苗木が、立派な実をつける大木に成長しました。
その夏みかんの木を移植することになり、バサバサ枝をおろし、スコップで根を掘り、太い根はのこぎりで汗だくになり息を切らせて切り落とし、2人で2時間30分かけてやっと掘りおこしました。
 その時教えられました。フウフウ言いながら、「こんな太い根が何本もあって厄介だな」
と思いましたが、この根のおかげであの見事な夏みかんが成ったのでした。
根に感謝することを忘れていました。花が咲いて心を和ませてくれたのも根のおかげでした。実が成ってうまいうまいと味わえるのも根のおかげでした。
私たちの生活には、なんと陰の努力・力の恩恵を受けていたことかと教えられました。
そう思うと、枝をおろすのも、根を切るのもためらいが生まれましたが、申し訳ない、すまないと思いながら移植をしました。元の大きな木が半分くらいの小さな木になってしまいました。
 するとまた教えられました。夏みかんの木は、枝をおろされ、根を切られ、小さな木にさせられ、せっかくの安住の地を追いやれれても不平も言わず、文句もいわず、私の思うとおりに任せてくれている。それに比べて、ささやかな事にもすぐ怒る自分が恥ずかしくなりました。夏みかんの木に申し訳なく思いました。「早く痛みをお癒しください、早く元気になってください。」と願いながら、お水をたっぷりあげて回復を念じる時、ふと先代の住職の事を思い出したのです。2人してよく種々な木を移植した事を思い出したのです。
 住職も元気でした。植木が好きでした。住職から移植の仕方を教わりながら2人して真っ黒になって汗だくになって働きました。終わって風呂に入り汗を流し、冷たいビールを飲みながら今日の事を話し合う時、大変充実した気持ちになったものです。
しかし時には、疲れきっているのにお通夜に行かなければならない時もあるのです。そんな時、正直「いやだなぁ」と思うのですが、大切な方を亡くされて泣いている方のことを思うと、しっかり勤めさせてもらわねばと気を取り直して、厳粛な気持ちで個人を偲びながら真剣にお経をあげ、通夜法話をさせていただき、帰ってきますと、心の落ち着きを感じたものです。そんな時思いました。

人間は苦労することが嫌いで楽することばかりを求める。
人間は損をすることが嫌いで得することばかり求めるが
、それが私の本心だろうか?

そうではない、大切なことなら、意義のあることなら喜んで苦労もします、損もしますという心もあるのです。それが本心ではないでしょうか。私の本願であると思うのです。この事は表面的には分からない心です。心の奥の奥を見つめた時、欲も多く、いかり、腹立ち、そねみ、ねたむ心の多い煩悩だらけの私ではあるが、意義があるなら喜んで苦労もします、損もしますと言う心も持ち合わせている。それが人間の本当の心ではないでしょうか。その本当の願いに生きた時、人間は身も心も安らぎと喜びを味わうことが出来るのであります。

合掌

 

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