相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『自分が自分になった背景を知る それが恩を知るという意である』(2023年12月 1日)

 本年はコロナウイルス発生以降、初めて御本山や仲間の寺院にお願いをして盛大な報恩講を勤めることができました。大勢の御門徒さんもお詣りに来てくださり素晴らしいお勤めになりました。ありがとうございました。
そして11月24日から結願日中(けちがんにつちゆう)の28日まで、御本山の御正忌報恩講に出仕させていただけました。誠に有り難いことであります。

 去年の今頃は呼吸がとても苦しくなってきた頃で、この報恩講が最後の報恩講だろうな。という気持ちでお勤めさせていただいておりました。お正月も迎えられるかどうか不安でしたし、春彼岸など絶対に無理だろうと毎日思っておりました。それでも、覚悟といいましょうか、死んでも阿弥陀様のお浄土に迎えていただけるのだから怖いことはなにもない。不安も何一つないと感謝の日々を送っておりました

 しかし今になって思うのは、なんの恐怖も不安もないとはいっても、毎日毎日朝から晩まで死のことを考えるのは苦痛にも感じましたし、夜中に呼吸が苦しくてたまらないときはベッドに腰掛けて「楽になりたい。」と真剣に思いました。阿弥陀様の本願に出遭えて本当に良かったと思いながらも、安楽で平穏な日々ではなかったように思うのです。

 さて、24日に御本山に上山し法務所に顔を出しましたら、とても尊敬をしている先輩に久しぶりにお目にかかれました。酸素ボンベを背負い空気吸入をしている私を見るなり、その先輩が「久しぶり!お元気そうで!」と、声をかけてくださいました。「お元気そう」などという言葉は1年以上聞くことなのかった言葉でした。大抵は心配してくださるお言葉をちょうだいするので驚きました。
そしてなによりも心が明るくなる自分に気がつきました。

 想像ですが、去年の私にならそんな言葉をかけてくださらなかったと思うのです。この1年間は本当にいろいろなことがありました。そしていろいろなことを考えました。
 4月に在宅酸素療法を始めてからというもの、呼吸の苦しさは劇的に変わってはいませんが、生きよう。生ある限り行き切ろうという気持ちが強くなったと思うのです。今この時も正月はどうか?お彼岸はどうだろう?報恩講は?と当然死のことも考えますが、それよりも大勢の方に生かされ、阿弥陀如来に全力で見守られている安心を強く感じるのです。

 例えば在宅酸素のことだけ考えましても、毎週2回ボンベ交換に来てくださる方がいらっしゃいます。そのボンベは工場や作業所のようなところに運ばれ、酸素をまた充填してくださる方もいらっしゃいます。そのボンベをどこに何本持って行くのか管理なさる方もいらっしゃるでしょうし、全体を管理なさっておられる方もいらっしゃいます。また今回のように出張ということになりますと、宿泊するホテルまで大きな酸素の機械と必要本数の酸素ボンベも用意してくださる方もいらっしゃいます。去年より空気を取り入れる力が落ちたようで、酸素吸入なしには動けなくなってきました。この酸素のことだけ考えましても一体どれだけの方の御尽力の上に生かされているのかと有り難いばかりです。

 また、今までなら1人で3日もあれば用意ができた本堂御内陣の荘厳も今では1週間あってもできるか自信がなくなりました。しかしそれをこちらが求めたわけでもないのですが、御本山に奉職させていただいている息子が、「今度の用意はいつお休みもらえば良いかな?」と先回りをして手伝ってくれるのです。妻に関しては何から何まで苦労のかけっぱなしであります。そうした様子に役員さん方もなんでも言ってください。住職は無理しないでくださいといってくださいます。有り難いばかりです。

 そして、同じ病気で療養している母と話をしておりますと、「弱い身体に産んでしまってごめんなさい」とよく言われます。でもそれは私にはどうでも良いことなのです。弱い強いは問題ではないのです。母の子に生まれたからこそ如来の本願に出遇えたのです。このことが大事なのです。もし如来の本願に出遇うことができなかったならば、私は今も死のことばかり考えて悲しく恐ろしい毎日を虚しく過ごしていたのではないかと想像できます。母の元に生まれ浄土真宗に縁をいただけたことが誠に喜ばしいことなのであります。

 今年の報恩講は無事に終わりましたが、その日だけ恩に報いれば良いということではありません。また、親鸞聖人と阿弥陀様の恩に報いれば良しということでもありません。今自分が自分としてあるのはなぜなのかこのことをしっかりと見つめてください。自分の背景をしっかとはっきりと理解することで、すべてのことに感謝する心が芽生え、恩返しができる人間となれるのでありましょう。そのような気持ちで今月は安田理深先生のお言葉を掲示板に書かせていただきました。
どこまでできるか分かりませんが、恩を知り恩に報いる生き方をしたいものであります。それが人間というものでありましょう。合掌

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