相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし』(2023年11月 1日)

 お釈迦様御在世の頃のお話です。大変裕福な家庭に生まれ、なに不自由なく育てられた女性のお話です。財力も申し分なく、とても美しい女性だったので心配した両親は、彼女を家に閉じ込めておりました。しかしそのうちとても低い身分出身の使用人と恋に落ちてしまい駆け落ちをしてしまったのです。

 しばらくしますと彼女はお腹に子供を授かります。出産間近になりますと彼女は実家での出産を望みます。しかし夫はとても身分の低い出身者です。捕まったら殺されるでしょう。ですから実家に戻ることを許しませんでした。いよいよ出産も近いというある夜、彼女は夫に黙って家を出て実家に向かいました。それに気づいた夫は一人では道中危険だと思い後を追い、一緒に実家に向かうことにしました。しかし、実家に戻る前に陣痛が起こり途中で出産を迎えました。生まれてしまては実家に戻る理由はなくなったと住んでいた家に戻ることにしました。

 しばらくしますと二人目の子供を妊娠しました。また実家での出産を希望しますが夫は許してくれません。最初の子を抱っこして、前回同様夜を待って実家に向かって歩き出しました。この時もそれに気づいた夫は後を追います。夜道を歩いている妻を見つけた後、3人で実家に向かって歩いていましたが、真夜中に嵐が襲ってきました。このままでは子供の身体が冷えてしまう。お腹の子供にも良くないと夫は雨をしのぐための屋根を作るために材木や葉っぱなどを集めに出かけました。しかしいつまで待っても夫は帰ってきませんでした。女性は「さては実家の両親に殺されるのが怖くなって逃げ出したのだ」と思い夫を恨みました。そして夫が戻ってくる前に嵐の中、2人目の子供を出産しました。朝になり嵐も通り過ぎましたので女性は子度を連れて歩き出しました。すると毒蛇に噛まれて亡くなっている夫を見つけました。夫の急死に嘆き悲しんでいましたがいつまでもここにいることもできずいったん夫を置いて歩き出しました。

 しばらく進むと目の前に昨夜の嵐で増水し急流となった川が行く手を阻みます。女性は最初の子に、必ず迎えに来るから動いてはいけないと言い川岸に子供を残し赤ちゃんを抱いて向こう岸に渡りました。岸に赤ちゃんを置いて最初の子の元に戻るために川を渡り始めますと背後になにか気配を感じました。なんと赤ちゃんめがけて大きな鷲が襲いかかり赤ちゃんを連れ去っていくところでした。女性は鷲に向かって大きな声を出し、手をバタバタ振って威嚇しました。その母の様子を見ていた最初の子は母が自分を呼んでいるのだと勘違いをして急流の川に入っていきました。今度は女性が見ている前で最初の子が濁流に呑み込まれていきました。あっという間に家族3人皆失ってしまった女性は茫然自失途方に暮れました。

 しばらくして実家に向かいました。実家に戻ってみますと豪邸だった家が崩れ落ちひどい有様です。近所の人に何があったのか尋ねますと昨夜の嵐で家が倒壊し住んでいた両親と兄が亡くなってしまったというのです。たった一晩で6人もの家族を失い彼女は気が触れてしまいました。

 自我が崩壊し意識もなく彷徨っている女性に釈尊が話しかけました。我に返った女性はことの始終を話しました。すると釈尊は「安心しなさい。今、あなたは真の心の拠り所を示す人の前にいる。夫や子供、両親や兄を拠り所にしたところで生老病死の苦しみから逃れることはできないのだ。自分の心さえも拠り所にはならない。まして財力など何の役に立とうか。苦しみの原因となる執着を取り除き、涅槃への道を求めなさい。その教えを説くために私がいるのだよ。」とお話しになりました。その後、彼女は釈尊の説法を聴聞し修行を続け迷い苦しみから解脱し悟りを開いたのです。

 さて、このお話を皆さんはどうお考えになられますか。自分にも起こりえるような話だと思われますか?そんな不幸な話あるものか作り話だと思われますか?彼女はとても裕福な家に生まれ欲しいものは何でも手に入りましたから両親に寄りかかった生活だったでしょう。駆け落ちした後は夫を拠り所とし、子供を拠り所としました。3人を失った後は実家の両親や兄に頼ろうとしましたが、それもかなわず、自我が崩壊しすべての拠り所を失ってしまったのです。これこそ無明と言われるものです。煩悩に振り回され、四苦八苦の真理にも暗く無知な有様のことです。もしも作り話だと一笑に付された方はよくよく考えてみてください。それこそが無明の姿だと思うのです。

 親鸞聖人は「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」(教行信証総序)とお示しくださいました。なにものにも妨げられることのない阿弥陀如来の本願の光明だけが煩悩まみれで真理に暗い私たちを救ってくださる唯一の道なのです。

 私だけが不幸だ。私はなにも悪いことをしていないのになぜ自分ばかりこんな境遇に陥れられるのだ。なぜ?なぜ?なぜ?このような気持ちで暮らしていませんか?まさに無明の中に生きているのだといえるでしょう。どうか親鸞聖人が広めてくださった阿弥陀如来の本願に出遇ってください。そして無常の理を知り無明から抜け出し明るい慧日に照らされた日々をお過ごしください。
「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も骨をくだきても謝すべし」
親鸞聖人の御命日11月28日に合わせて11月21日午後1時より報恩講を勤修いたします。どうかご参詣くださいませ。

最近の記事

月別アーカイブ