相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ』(2017年10月 1日)

世のなか安穏なれ
仏法ひろまれ  
    親鸞聖人


 マスコミというものはひとつの大きな事柄が起こると、それまで毎日のように報道されていたニュースがぷっつりと途切れてしまうように感じます。
最近は一日中、小池都知事が代表になられた希望の党の話題で持ちきりです。皆さんは興味がおありでしょうか?当然我が国の政治のことでありますから無関心という訳にもいかず気にはなりますが、若狭議員を中心に話が進んでいたと思いきや、都知事が日本をリセットするとおっしゃってご自分が代表におさまられたあたりで私の中ではしらけてしまい、民進党のほとんどの方が合流するとの報道を観るに及び、今回の選挙も消去法で投票することになりそうだなと感じております。


 私におきましては、その報道以前に一日中報道されていた北朝鮮とアメリカのトップ同士の発言や行動が気になっております。欧州のどこだったか失念しましたがどこかの国のトップが「まるで子供の喧嘩のようだ。」と言っているシーンをニュースで観ました。一方が「完全なる破壊をする。」と言えばもう一方はそれに反応して「政治家ではなく、火遊びが好きなちんぴら」「史上最高の超強硬対応措置を断行する。」との発言が報道されています。確かに子供の喧嘩のようではありますが、普通の子供は軍隊を持ちません。核爆弾も持っていません。
地球を滅ぼしかねない戦争が起きてしまったらもはや子供の喧嘩などと言っていられません。


 北朝鮮と国交がない我が国は世界的に見ると珍しいそうで、大抵の国には北朝鮮と国交を結び、労働者を受け入れ、貿易なども普通にしているそうです。そうなりますと確かに北朝鮮を日本、アメリカ、韓国が非難をしようとも国連で制裁が決まってもそれらの国々にとっては重要案件ではないのかもしれませんね。


 そんなある日、佛説無量寿経を繰り読みしておりましたら「佛所遊履(ぶっしょゆり) 國邑丘聚(こくおうくじゅ)、靡不蒙化(みふむけ)。天下和順(てんげわじゅん)、日月清明(にちがつしょうみょう)、風雨以時(ふういじ)、災厲不起(さいれいふき)。國豐民安(こくぶみんあん)。兵戈無用(ひょうがむよう)。崇德興仁(そうとくこうにん)、務修禮讓(むしゅらいじょう)。」と言うお言葉から目が離せなくなりました。
簡単に申しますと「仏が巡り歩まれた国や町や村は、その教えに導かれないところはない。そのため天下は平和で穏やかであり、太陽も月も明るく輝き、風も雨も適宜吹き降りし、災害や疫病なども起こらず、国は豊かで、民は平穏に暮らし、兵も武器も必要なくなり争うこともなくなる。人々は徳を尊び、思いやりの心を持ち、努めて礼儀を重んじ、互いに譲り合うの心を持つ。」となります。


 この言葉をいただきますと、法句経の
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。
 己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。」
「すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい。
 己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」

も思い起こされました。


 北朝鮮との関わり以外にも今の世界を見てみますと、民族同士の紛争や、罪なき人々を狙ったテロなど各地で大勢の人の命が奪われています。我が日本においては今のところ戦争や紛争はありませんが、この先どうなるか分かりませんし、家族同士だったり、見知らぬ人を狙った犯行だったり、近所の問題だったりと恐ろしい殺人事件を毎日のように目にします。


 聖徳太子は我が国の最初の憲法に、仏教の心を取り入れられてその1条目に「和を以て貴しとなす」と示されました。元々中国から倭国と表記されていた我が国を和国と示されたことには諸説ありますが、私はこの無量寿経に説かれる天下和順な国という和やかで穏やかな国だからこそ和国というのだと思います。


 この釈尊が説かれ、聖徳太子が国の基盤とされ、親鸞聖人がよろこばれた教えをいただく私たちはこのことをしっかりと考えなくてはならないのではないでしょうか。「私1人が心がけても・・・」「私がいくら声を大に皆に説いても・・・」と思われるかもしれません。私も実はそう感じることもあります。しかし、先ずこの教えをいただいた私が心がけなくては何も変わりません。どんなことも1人の行動、1人の言葉から始まるのです。釈尊が悟りの内容をご自身の心にとどめられたら仏教はなかったのです。親鸞聖人が90年の御苦労を以て伝えてくだされなければ浄土真宗はなかったのです。
親鸞聖人は「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と申されました。この土を浄土にすることはかなわなくても、人々が安心して穏やかに暮らす、戦争のない平和な世の中は作れるはずです。そのためにも私たち仏教に御縁をいただいた者たちは自分のできる範囲からでも仏教を弘めることが大事だと思うのです。合掌

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