相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『仏法聴聞は お陰様の中に 生かされている 自覚の発見です』(2015年12月 1日)

仏法聴聞は お陰様の中に
生かされている 自覚の発見です


 平成19年度の日本の世相を表す漢字が「偽」と発表され、京都清水寺の貫首が見事に「偽」の一字を書かれ、こうした字が日本の世相を表すとは嘆かわしいとコメントされたことが思い出されます。
設計偽装とか、老舗と呼ばれる歴史のある有名店が次々と食品偽装をしていたことは驚きでありましたが、その後もいまだに次から次へと一流企業による偽装問題が発覚し国民は不安と苛立ちの心に陥っています。


 今年もまた日本の世相は漢字一字で「偽」と発表されるのではあるまいかと案じているところに、友人のAさんが訪ねてこられ「住職、今の世の中どう思います?横浜のマンションの杭打ち偽装は全国に広がりを見せていますし、日本は世界一治安の良い国と言われてきましたが、殺人事件が報道されない日は1日もありません。どうしたら良いのでしょう?学校でも家庭でも道徳教育をきちんと行わなければ駄目なのではないでしょうか?」と不安そうに語られました。


 私は冗談に、「道徳教育も大切ですが、誰か人の心の中を写し出してくれる鏡を発明してくれませんかね?発明できたらノーベル賞でしょうね。人間は恥ずかしい思いをすると自然と赤面しますし、恐ろしいことに遭遇すれば青ざめることがあるではないですか。何か悪いことを考えたり、何か偽りの行いをすると顔が黒ずんだとしたらどうでしょう。黒ずんだ顔が鏡に写し出されたら、あぁこんな考えを起こしてはいけない。こんな事を行ってはいけないとブレーキがかかるのではないでしょうか。」と夢のような話をしました。そんな夢の話のあと、私はAさんに、「やはり今こそ仏法を正しくいただくことが大切なことだと思います。」と次のような話をさせていただきました。


「仏の教えをいただくと言うことは、自分の本当の心を見させていただくことなのです。
何かにつけ不平不満の心がいっぱいの私でした。
ささやかなことにもすぐ怒りの心を爆発させている私でした。
言うまい言うまいと思っていても我慢できず愚痴をこぼす私でした。
人様や社会に迷惑などかけていないと思っていたが、知らず知らずに他人や世間に迷惑をかけていた私でした。
良かれと思ってしたことでも、他人をどれだけ困らせ、人の心を不快にし、どれだけ人を泣かせてきたか分からない浅ましい恥ずかしい私でした。
自分の力で生きていると思っていたが、食べることも飲むことも自分の力ではありませんでした。
眠ることも起きることも自分の力ではありませんでした。
呼吸ひとつも自分の力ではなかったのです。」


 こうして自分の姿が仏法を通して知らされますと、私はお陰様の中に生かされているということに気づかされるはずです。
お一人お一人がこのことに気づいていただけますと一日一日を、一回一回の出来事を、一人一人の出会いを大切に大切にさせていただこうという気持ちになると思うのです。
そうすれば偽りのない世の中、治安の良い国を取り戻せるのではないでしょうか。今大切なことは仏法を深く聴聞させていただき、味わさせていただいたことを、家庭の中で社会の中で語りあることではないでしょうか。家庭の中心にはお内仏(お仏壇)を安置して、朝に晩に手を合わす合掌の生活が人間として大事なことであります。合掌

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