相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『親の血だけでなく 大きな願いを受け 生かされている私』(2012年8月 1日)

親の血だけでなく
大きな願いを受け
生かされている私


 私の1代先は2人の親ですし、3代先の先祖はわずか8人ですが、25代さかのぼって計算しますと驚いたことに33.554.432人と膨大な人数の先祖がいらしたことが分かります。よく親の血を引くと言われますが、そうした沢山の先祖の血は親から子へ、子から孫へと流れ、今この私の身体の中に凝縮しているといえるでしょう。


 そうしてみると先祖を大切にしないさいとはよく言われることですが、先祖を大切にすると言うことは私自身を大切にすることではないでしょうか。俺の身体をどうしようが俺の勝手だなんて言う人がいますが、とんでもない思い違いであります。奇跡としか言いようのない中に賜った尊い命は私が子供たちに、ああなって欲しい。こうなって欲しいと願うように、この私もまた両親の願いだけでは無く遠い先祖の方々の願いを受け継いでいるのです。沢山の願いが私の中に凝縮しているのです。


 その願いは一口に言えば「幸せになってくれ」と言うことでしょう。それでは幸せとは何でしょうか?お金や物に恵まれることも、世の中に名声を上げることもある意味では幸せですが、そうした幸せは何時失い、何処で壊れるか分からないのです。それよりも何時でもいかなる場合も何があろうと失うことの無い幸せを求めたいのです。


 親鸞聖人は「本願力に遇いぬれば 空しく過ぐる人ぞなき」(高僧和讃)と弥陀の本願に出会い念仏を悦ぶ身にさせていただくことが、この闇の世を自由に何の障りも無く明るく生きられる「無碍の一道」ですと教えて下されたのです。私たちの先祖も聖人が歩まれた念仏の一道を綿々と受け継いで下されたのです。私が仏法聴聞に励み、念仏を悦ぶ身にさせていただくことが先祖の願いに応えることになると思いますし、私自身が大きな幸せを得たことになると思うのです。それこそお浄土に往生された先祖の方々が歓喜されることと思います。お盆を迎えるにあたり先祖の願いを感じながら仏法をお聞かせさせていただきましょう。合掌

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