相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『お盆をお迎えして』(2002年8月 1日)

「偲ぶ」人を思うと書いて"しのぶ"と読みます。亡き人の在りし日をあれこれ思い出して亡き人を慕う心。人間だから味わえる美しい心であります。今年もお盆を迎えるにあたり
寺の掲示板に

母偲び
ナムアミダブツと
合わす手に
聞法せよの
あつきさいそく

と拙い短歌を詠ませていただきました。母は有り難いことに健在でございまして、この歌は父を偲んでの味わいなのであります。父偲びより、母偲びの方が感じがでると思い掲示板には母偲びと詠ませていただいたのです。
 父には大変な苦労をおかけしました。夜も眠れぬほどの心配もかけました。私が学生の頃、友と麻雀をしたり酒を飲んでは時間を忘れ午前1時、2時になったことも度々でした。そんなときでも火の気ひとつ無い寒い部屋で本を読みながら私の帰りを待っていてくれたのです。本の内容が頭に入ったとは思えません。そんな父の姿を思い出しますと、自然とナンマンダ仏・ナンマンダ仏とお念仏がこぼれます。そこに懐かしい父の厳しい声が聞こえてくるのです。

人生の一大事を忘れるなよ!聞法をおこたるなよ!

の声が聞こえてくるのです。その味わいを詠わせていただいたのです。
 思うに亡き人を偲ぶと言うことは在りし日の種々な事を思い出すことも大事ですが、もっと大切なことは、亡き人の声を聞く、亡き人の願いを聞かせていただくことではないでしょうか。私は父の願いを聞かせていただくとき、曼陀羅華の雨をいただき、浄土の小鳥の雅やかな声を聞きながら、浄土の蓮の池のたもとで念仏・念法・念僧にしたっている父の姿が目に浮かぶのです。
 目蓮尊者の母は餓鬼道に落ちて苦しみましたが、我が父は浄土に生まれ、浄土での生活を心から楽しんでいるのです。そんな父をこんな汚れた悩み苦しみの多いところに迎え火を焚いて迎える気にはなれないじゃないですか。浄土真宗で迎え火・送り火を焚かないのはこうした理由からです。
 今年もお盆を迎え、父を偲び、父の願いを忘れずに、ご門徒の方々とともに聞法の生活を勤しみたいと願っています。

合掌

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