相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『亡き人を偲び 亡き人を敬い 亡き人の声を聞き 亡き人に学ぶ』(2020年11月 1日)

 10月15日、私が最も尊敬していた先輩が63才という若さで往生なさいました。あれから2週間以上過ぎましたが、今もあれこれと思いだしては、悲しくつらい思いにくれています。この先輩は声明(御経などを唱える)の先生で、とても綺麗で心に染みいるお勤めをなさるお方でした。

数年前に歌手の桑田佳祐さんと同じ癌を患われたのですが、手術も無事に済みとても元気に御活躍なさっておりました。しかし今年の初夏、急性骨髄性白血病を患われたのでした。検査や準備のための入院を経て、手術のための2度目の入院のときは、まるで旅行にでも出かけるかのような気楽さで入院なさったそうです。私の入院中も何度か励ましてくださり嬉しかったことを思い出します。先生が退院なさったら一度お見舞いに寄らせていただこうと思っておりましたがもはやそれもかないません。思い出すたびに涙がこぼれます。

 勝手に先生が入院中どのようなお心であられたのか考えることがあります。
あれこれ考えるなかに、ふと明治時代に活躍された清澤満之先生が病床で苦しむ正岡子規さんに宛てて書かれた手紙の言葉が思い出されるのです。
「第一、かかる場合には天帝または如来とともにあることを信じて安んずべし。
 第二、もし右信ずること能あたはずとならば人力の及ばざるところをさとりて、ただ現状に安んぜよ現状の進行に任ぜよ痛みをして痛ましめよ大化のなすがままに任ぜよ。
 天地万物わが前に出没隠現いんけんするに任ぜよ。」
※紙面の都合で第三は省略
先生におかれてはこの2つの心持ちでおられたのではないかと思うのです。

 声明をとても大事にされたお方です。声明を学び教えると言うことは、御経や偈文、和讃を深くいただいておられたからできることです。内容も考えずにただ声に出しているだけではどんなに上手く称えたとしても人の心に届かないと思うのです。先生の御声明は誰をも感動させてくださいました。それは先生が如来とともにあることを信じておられたからに他ならないと思うのです。信心をいただいて疑われなかったからだと思うのです。とは言え、いかんともしがたい痛みに襲われることもあったことでしょう。しかしそんな時もあるがままの真実を受け入れておられたのではないでしょうか。

 そこから考えますと今度は病牀六尺で正岡子規さんがどうしようもない痛みに襲われ、泣き、悶えながら遺されたお言葉
「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。」
というこの言葉が思い起こされるのです。とても前向きな言葉にも取れますし、逆にとても後ろ向きな言葉にも読めますが、私は前向きな言葉と受け止めております。先生は痛みを痛みとして受け止めながら闘病に励まれ、いつ如何なる時も阿弥陀様を信じながらお過ごしだったと思うのです。

 今月は宗祖親鸞聖人の御命日がまいります。親鸞聖人は幼い頃から生死の問題を深く考えておられました。
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
数えの9才、今でいう8才の時に詠まれた歌には、普段死を忘れて生きている私たちに深く突き刺さるお言葉であります。
そして阿弥陀如来の御本願をいただいたのち、念仏の大道を歩まれながらお語りなられた
「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。」
のお言葉は、阿弥陀如来に必ずすくっていただけるのだからなにも心配することはない。だから今この生を大事に励むだけなのです。とお示しくださっておられます。また、親鸞聖人の御一生を後の世に語り継いでくださった御傳鈔(ごでんしよう)に聖人の最期のお姿として
「口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、 もっぱら称名たゆることなし。」
と示されております。私たちはいつでも世間のこと、自分の損得を考えて生きてしまいがちですが、聖人は生死の問題を阿弥陀如来の御本願に解決なされた29才からはただただお念仏の大道を迷うことなく、溌剌とした悔いのない人生を歩まれた方であります。

 聖人の歩まれた道を先生も間違いなく歩まれました。ご縁をいただいた私どもにはつらい出来事ではありますが、嘆き悲しむだけではなく聖人に学び、先生に聞き大勢のお念仏を大事にされた方々と同じ溌剌とした悔いのない道を歩みたいと思うのです。合掌

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