相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『初春の令月にして 気淑く風和ぎ 世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ』(2019年5月 1日)

初春の令月にして 気淑く風和ぎ
世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ


 まだまだ先のことと思っておりましたが、新しい元号「令和」の時代がやってまいりました。平成時代は甚大な被害を及ぼした災害が多い時代であったとテレビ番組などで耳にいたします。確かに災害によって多くの方が被災した時代であったなと感じます。しかし平成は戦争のない平和な時代でもありました。戦後74年になりますが、この長い期間戦争をしなかった国は国連加盟国193か国の中で日本を含めてたったの8か国だけなのだそうです。このことはたいへん誇れることでありましょう。令和の時代も戦争のない平和な日本であって欲しいと願いますし、世界から戦争がなくなって欲しいとも思います。


 また平成時代は天皇陛下のお姿をテレビや新聞で拝見させていただくことがとても多かったと思います。昭和時代もそうだったのかもしれませんが、私の記憶には残っておりません。異国の地で亡くなっていかれた戦没者の方々を見舞うお姿もよく拝見しましたし、様々な行事に皇后陛下とお二人でご出席なさっておられるお姿もしばしば拝見できました。その中で残念なことではありますが一番私の記憶に残るのはやはり被災地に赴き被災された方々のお見舞いに向かわれたお姿でした。


 とても失礼なことではありますが、若い頃は天皇陛下に注意を払ったことはありませんでした。テレビや新聞で見かけても気にも止まりませんでした。
そんな中、平成3年の雲仙普賢岳噴火で被災された方々のお見舞いに向かわれた天皇皇后両陛下のお姿に目を奪われました。被災された方々の前で床に膝をつかれて同じ目線で相手の目をしっかりと見つめながら時には手を握っておられました。このお姿にとても感動した記憶がございます。それ以降も災害が起こるたびにお見舞いに向かわれ国民と同じ場所に座られ励まされるお姿は私が励まされているような錯覚すら感じました。東日本大震災後に計画停電が実施されたときには国民にだけ苦労させるわけにはいかないと皇居の電気も消されたということを聞かせていただいても本当にお優しい我々1人1人の幸せを念じ続けてくださっておられる陛下なのだなと有り難い思いで一杯です。


 このような1人1人のことを案じてくださり、国民と同じ目線で語りかけてくださるお姿を拝見しておりますと、私は親鸞聖人のことにも思いが至るのです。特に茨城県を中心とした関東での御教化の風景が目に浮かびます。


 一般の民衆は、生きるも地獄、死ぬも地獄と諦めていたような時代です。そんな中、いきなり見ず知らずの僧侶がお念仏の教えを声高に叫んでも誰も耳を傾けてはくれないでしょう。日々の生活に追われ人生を見つめる余裕もない人々に対して親鸞聖人は寄り添って生きられたのであります。田んぼを耕す農家の人々の中にあっては一緒に田を耕し、苗を植え、休むときには車座になって皆と一緒の目線となり、時には手を握りしめてくださったのではないでしょうか。長く続く戦で人を殺めた武士や、夫を戦で殺されてしまい子供を育てながらの苦しい生活を送っている方々とも同じように優しく接し、手を握りしめ阿弥陀様の救済を説かれたのではないでしょうか。だからこそ、浄土真宗は広く民衆に伝わり、現在の日本においても浄土真宗のお宅が多いのでありましょう。


 このようなお姿から私たちは学ばなければなりません。私たちは大抵いつでも自分が正しいのだと思い込み、人より上からの目線で話しているのではないでしょうか。家族にあっても、会社や友人との付き合いの中でも自分が正しく、相手が間違っていると思い込み、隙あらばやっつけようとしてはいないでしょうか。そのような心では相手からは嫌われるだけでありましょう。まず同じ目線で相手の気持ちを、相手の話を聞かせていただくことが大事なのでありましょう。そこから和やかな社会が生まれるのでありましょう。


 日本は74年間戦争をしていない国です。これは令和の時代だけではなく未来永劫続けなくてはならないことです。相手を認め、相手を赦す。難しいことかもしれませんがそれをしてきたのが我々の国日本です。このことは我々1人1人が心がけなくてはならないことだと思います。
平成の「平」に令和の「和」で平和だとどこかで目にしましたが令和の時代も平和であってほしいと念じております。


 親鸞聖人は「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」と仰いました。令和時代が始まりました。この時代も仏法聴聞の中に自分を見つめ、相手を認め、争いのない安らかで穏やかな、世界に誇れる国にしたいものです。合掌

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