不平不満で生きるも人生
心満意足で生きるも人生
先日、不思議な御縁でお付き合いが始まったお方のご葬儀を勤めさせていただきました。お墓は本弘寺内にはないので、お盆やお彼岸にはお参りくださいませんでしたが、永代経と報恩講にはご夫婦で必ずお参りに来てくださっておられました。
ここ3年ほどお姿をお見かけしなかったのですが、旦那さんの訃報が入ってまいりました。2年ちょっと前に見つかった癌で療養中だったとのことでした。部位的にも難しく、また仮に手術をしても12時間程度の手術時間が見込まれるため年齢的なことを考えてもしない方が良いのではないかとお医者さんに言われたそうです。
その時に余命3か月と伝えられたそうですが、今更じたばたしても仕方がない。すべては仏様にお任せなのだからと手術はもちろんのこと延命処置などもしないで欲しいとおっしゃられ、病院ではなく自宅での療養を選ばれました。
月に2回ほど訪問看護の先生が診てくださったそうですが、元気なので先生もただお茶をご馳走になりに来てるようだとおっしゃっていたそうですし、病院での処置が必要なときも元気に出かけ、また元気に戻るの繰り返しだったようで、末期癌患者には見えないと先生方も不思議がっておられたと聞きました。
余命半年と言われてから実に2年以上も元気に過ごされた旦那さんでしたが、ある晩、「今日は歩いてトイレに行けない気がする」とおっしゃったそうです。すると奥さんは、「大丈夫ですよ。ちゃんとおむつを用意しておりますから今日はそれを着けて休んでください。看取られる方はみんなそうして人のお世話になって亡くなるものですよ。身の回りのことは全部私がさせてもらいますから安心してくださいね。後のことは全部全部仏様にお任せするだけですよ。」とおっしゃったのです。ただ、今日は歩いてトイレに行けないとおっしゃっただけで、いよいよ亡くなりそうというわけではありませんのに、奥さんは亡くなるっていうのはそういうものだと旦那さんに言うのです。これはその日になにかを感じてそうおっしゃったのではなく、常日頃からいのちを見つめながら生活なさっておられた方でないとでない言葉だと思いました。
親鸞聖人の「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」このお詩が思いだされます。
そして鈴木章子さんの「死にむかって進んでいるのではない 今をもらって生きているのだ」というお言葉も思い浮かび、ご夫婦の力強く、充実された日々の生活も思い浮かぶようで、亡くなられたことは残念に思うものの、お二人のすべては仏様にお任せなのだという生き方に力強いものを感じ有り難くお念仏がこぼれます。
親鸞聖人が遺された御和讃は浄土和讃、高僧和讃、正像末和讃の三帖からなり、三帖和讃と呼ばれています。このうち浄土和讃の中に現世利益和讃と呼ばれる十五首がありまして、浄土三部経以外の様々なお経から阿弥陀如来の本願による現世利益を明かしてくださっておられます。はじめの二首だけ紹介しますと
「阿弥陀如来来化して 息災延命のためにとて
金光明の寿量品 ときおきたまえるみのりなり」
「山家の伝教大師は 国土人民をあわれみて
七難消滅の誦文には 南無阿弥陀仏をとなうべし」
とあります。最初の1首は「阿弥陀如来は私たちを救うために、また禍を除きいのちを永らえさせるためにわざわざお浄土からこの世に来てくださり金光明経の寿量品をお説きになれました。」2首目は「比叡山の伝教大師最澄は、災難が起きて人々が苦しんだとき、これらの人々を哀れみ励まして、七難を克服するためには念仏の力にすがるしかない。」とこのような意味になります。
実は聖人がこのような和讃をお遺しくださったお心が不思議でならなかったのです。阿弥陀如来が私たちの禍を取り払って長生きさせてくださるとか、最澄さんが天災や戦争などで苦しいときには南無阿弥陀仏のお念仏を呪文として称えなさいとおっしゃったと、なぜ聖人が遺されたのかが不思議だったのです。
しかし、今回このご夫婦のことを知らされてハッと気付かされました、現世利益和讃のお心は、癌そのものを取り除き長生きさせてくださるというようなことではなかった。癌であろうと、どんな困難が身の上に起ころうと、御信心をいただいた身の上には日々、お任せお任せと大きな安心の中に力強く生かせていただける。これこそ真の息災延命ということであり、また七難消滅されたお姿であり、こころ安らかな生き方なのだなと気がつかされたことでした。合掌