前に生まれん者は後を導き
後に生まれん者は前を訪え
年が明けてから大勢のご門徒さんとお話しをする機会がありました。
当然様々な内容の会話をさせていただきましたが、中でも多い内容が、なんとも寂しいことを仰るなと思うのですが「子供に迷惑をかけられない。」「子供に迷惑をかけたくない。」という方がなんとも多いのです。
大抵の方は、他人に迷惑をかけたくはないと思っておられると思います。またその中のかなり多くの人は「私は誰にも迷惑をかけていない。」と思っておられるように思います。
結論から言ってしまえば誰にも迷惑をかけないで生きられる人はいないと思います。必ずなにかしら迷惑をかけながら日々生かされているのです。
生きるということ、生活をすると言うことは、必ずいろいろな形で迷惑をかけているのです。私は寒がりで、今年の冬も寒いので朝から晩までストーブを使っています。これは地球の空気を汚していますし、燃料もどんどん浪費しています。車に乗っても、電気を使っても、やっぱり環境に迷惑をかけています。
食事をすると言うことは他の命をいただくと言うことです。精一杯生きている生き物を殺して私の命にかえているのです。食べられる方にしてみたら迷惑千万です。またその私が食べているものを育ててくれたのは他人様です。私が食べているものを私に代わって殺してパック詰めしてくれたのも他人様です。
自分で稼いで自分で生きているという人がいるかもしれません。しかしその私に仕事をくださるのも他人様なのです。
家族や周りの方に良かれと思ってしたことがかえって相手を傷つけるなんてことも良くあることです。私たちは様々なお陰様の中に生かされているのです。このことを忘れた生き方はたいていの場合、傲慢で横柄な生き方になるのではないでしょうか。
また、大変な思いをして育ててきた自分の子供に対して、しかも大抵の場合はすでに結婚をして子供を育てている自分の息子に対して「迷惑をかけられない。」と言わざるをえない親はなぜこのような心境になるのでしょうか。それにそのようなことを言っている親を見ながら申し訳ないという顔もせず「迷惑だなんて思っていないよ。」と言えない、言わないお子さんを見ているとなんとも寂しい思いにかられます。
私も当然我が子に迷惑をかけたいなどと思っていませんし、その予定もありません。しかしいつかは、もしかすると今すでに迷惑をかけているのかもしれません。しかしそれが親子なのではないでしょうか。
今現在、我が子を育てている方で、手はかかるし時間も取られるし何よりお金もかかるし、子供ってのは迷惑だなどと考えながら子育てをされている方はいるでしょうか。いないと思うのです。それが親子ではないでしょうか。
親子に限らず、相手に迷惑をかけ、迷惑をかけられ、それでも相手を認め、相手を赦し、相手を敬い、相手を求めるのが人であり家族ではないかと思うのです。迷惑をかけずに生きられる人はいないのです。
聖人は御著書教行信証で「前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、後に生まれん者は前を訪(とぶら)え、連続無窮(れんぞくむぐう)にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。」(教行信証 化身土 『安楽集』)とお示しくださいました。親は子供を導くことが大事なのです。迷惑をかけてはいけませんと育てるのも大事ですが、それ以上に迷惑をかけずには生きられないことを教える必要があるのです。そのことを教えないのは先に生まれたものとしての怠慢だと思うのです。
育てていただいた恩を忘れ、親を大事にできない子供は、必ず我が子に同じことをされるのは必定です。我が子が可愛いのであれば人はお互いに迷惑をかけて生きている。そのことを教える必要があると思うのです。
大切なのは、親を大事にすること、子供を大事にすること、先祖を大事にすることを迷惑だなどと思わない家庭を築き、そんな人に育てると言うことではないでしょうか。そう育てていただいた子供は、人から認められ、人から赦され、人から敬われ、人から求められる幸せな生き方ができると確信しているのです。
そもそも、お仏壇やお墓を守っていくことを迷惑だとは思っていないのかもしれませんよ。合掌