相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『誉められれば のぼせあがり 貶されれば 落ち込んでしまう めでたき愚かな私』(2016年10月 1日)

誉められれば のぼせあがり
貶されれば 落ち込んでしまう
めでたき愚かな私


 先日、御法主(ごほっす)と親しく対談をさせていただく夢を見ました。夢とは不思議な世界でまったく考えたこともない、思ったこともない、想像すらしたこともない夢を見るものです。御法主との夢もそうです。


 御法主が「あなたは今年いっぱいで住職を息子さんに譲るということを聞きました。世の中ではいつまでも住職にしがみついている方が多いのに、まだまだ元気なあなたがよく判断をされましたね。あなたは宗門の表にはあまり出ませんでしたが、本弘寺の住職としての活躍には目を見張るものがあります。よくここまで頑張りましたね。本当にご苦労様でした。これからの人生ゆっくりお過ごしいただき、時には宗門にもご意見を賜りたいものです。」とねぎらいのお言葉をいただいたとき夢から目覚め、あぁ夢だったのかと現実に戻り、御法主からねぎらいのお言葉などいただける私ではなかったと我に返りました。


 すると不思議なことにその翌日、すでに亡くなられた先輩の住職が夢に現れ「お前は何の為に住職をしているのか?お前は真に生き甲斐のある人生を見いだすための仏法を門徒に、人に説いているのか?そうした大事なことを忘れ、自分が楽に生きることしか考えてはいないのではないのか?」とお叱りをいただいたのです。


 私は誉められればすぐに有頂天になり、貶されれば途端に落ち込んで言い訳をしてしまうのです。
何の為に住職をつとめてきたのだろうか。私はこの本弘寺を名実共に相模原に本弘寺有りと誰しもが認めてくれる寺にするために住職をつとめてきたと思うのです。そのために私は檀家の方々だけでなく檀家外の人との人間関係で苦しんだことが種々ありました。寺を運営するための経済問題でも悩みました。布教活動や寺のあり方に煩悶苦悩の連続でした。苦しみながら、迷いながら、悶えながらの人生でありましたが、如来の本願を心に思い念仏申すとき、お陰様でなんとか住職をつとめさせていただけたことに、我が人生悔いはない。良かったと味わえる思いがするのです。
もがき苦しんだことも事実。念仏の中に安らぎをいただいたことも事実。そんなことを飾らず素直な正直な気持ちで定例法話、日曜礼拝、文章伝道等に励んだつもりなのですが、まだまだ不充分だったのでしょう。だから叱られるのであります。


 平成3年に住職に就かせていただいたときのことが思い出されます。
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨をくだきても謝すべし
「真面目な顔をしてうたってはいるが行動が伴わぬことをいたく反省。今日から住職道。前住職の意を受け、ご門徒の皆様とお念仏の道を歩みます。」と宣言したことが思い出されました。
残りわずかな住職の任期、終わり良ければすべて良しと申します。皆様のお力添えをいただき、しっかりと住職道をまっとうしたいと思います。
有終の美を成せればと夢見たいものです。合掌

最近の記事

月別アーカイブ