相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『一度ことが起こると 崩れ失ってしまう幸せは 本物とは言えない』(2013年4月 1日)

一度ことが起こると
崩れ失ってしまう幸せは
本物とは言えない


 家庭においても、社会においても、国においてもいつの世でも一番誰しもが願うことは平和であり、幸福でありますが、「真の平和」「真の幸福」とはどんな状態をいうのでしょうか。戦争の無い世の中と答える人もいるでしょう。権力(力)を持つことが幸せと答える人もいます。悩み、苦しみの無い穏やかな生活と思う人もいるでしょうし、経済的、物質的に恵まれることが幸せであるという人もいます。なんだかんだと言っても健康が一番幸せだとはよく聞くことであります。これでは何が平和で幸福であるのか分からなくなります。


 平家物語の冒頭の一節に「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」とあります。真にその通りで因縁によってできあがった世の中のすべてのものは刻々と変化し続けていますし、盛んなるものは必ず衰えるはまことの道理であります。この教えからしますと私たちが幸福になりたいが為に汗水流し、求めている金とか権力とか健康等は必ず崩れ、必ず失う時が来るのです。そうしたものにしがみついていればいつか泣かねばならないことは必然だと言うことでしょう。


 ではどうしたら平和な社会、幸せな人生を味わえるのでしょうか。私は仏法聴聞の中に自分の本質を知ることが大切なことだと思うのです。仏法を正しくいただいて我が身を見つめさせていただきますと、私は私が思っていたほど偉くも無ければ賢くも無いし、優しくも無ければ恥ずかしいほど利己主義な私だなと思い知らされます。「われ必ず聖にあらず。彼必ず愚にあらず。共にこれ凡夫のみ。」(聖徳太子 十七条憲法 第十条)とおっしゃった聖徳太子のお言葉に深く深く頷かされ、相手を軽蔑し、何事も相手に従わせようとしていた自分が恥ずかしくなります。


 私の身近な人や好きな人には何かと優しく力にもなろうとする身勝手で利己主義な私でしたが、聖人の「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。」(歎異抄 第五条)とのお言葉に、誰とでも深い縁があることを忘れず、仲良く大切にしなければいけないと思うのです。そして何よりも有り難いことは仏法を聞かせていただきますと、何も背伸びをする必要は無いよ、おまえは今のおまえのままで、そのままそのまま歩めば良いのだよ。力を抜いて楽になりなさいとの阿弥陀様の優しい声が聞こえてくるのです。本当にそうでした。自分の分をわきまえ、自分なりに精一杯生きれば良いのだ。他人と比較なんかしてもつまらんよ。格好つけるから苦しむんだよ。高慢になるなよ。卑下することも無いよ。自分なりに生きれば良いんだと気付かせていただくと楽になれてナンマンダブツ・ナンマンダブツと悦びのお念仏がこぼれます。やはり仏法聴聞に励み、お念仏を悦ぶ身にさせていただくことが唯一のいつでもどこでもいかなる場合も平和で幸福な人生を味わえる道では無いでしょうか。合掌

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