相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『佛の呼び声に目覚めれば ありのまま そのままで 永遠の悦びが味わえる』(2013年3月 1日)

欲望の達成は 一時の喜びを得るが
やがて空しさを覚える
佛の呼び声に目覚めれば ありのまま そのままで
永遠の悦びが味わえる


 ある方と会話をしているときその方が、「私は誰の力も借りず今の事業を興し、従業員も200人を数える企業に成長させることができました。ボランティア活動にも精を出し少しは世のために貢献できたと思うし、そこそこの財も残し老後の心配はしてませんが、事業を息子に譲った今、私の人生は何だったんだろと考たとき、単に欲望の追求でしかなかったのではと思えて何か空しいのです。」と言われた。


 確かに人は欲望追求のために汗を流し、努力を重ねています。
ある人は金を儲けるために
ある人は権力をつかむために
ある人は愛情を満たすために
ある人は学者であるとか、政治家であるとか、社長であるとか社会的地位を得るために励み、それを達成することが幸せだと思っているようです。本当に欲望を満たすことが幸せなのでしょうか。


 釈尊は一国の王子様として御誕生なされ、経済的にも物質的にも不自由はなく、将来は王位という権力の座も約束され、美しい夫人をお迎えになりお子様にも恵まれ、誰から見ても幸せの絶頂にあられたのになぜ王位も家庭も何もかも捨てられ出家されたのでしょうか。釈尊は私たちが求めている幸せが必ずしも真の幸せとは言えないとお気づきになられたからです。


 春のお彼岸がまいります。寒さもやっと和らぎ、夜明けも早まり、自然界も生き生きと芽吹き大変気持ちの良い調和のとれた季節であります。この時期に人生の迷い、悩み、苦しみの世界を此岸として、人生の真の理想の世界を彼岸とし、その彼岸の世界に至ることが「到彼岸」の心であります。その彼岸に到ることに励むのに今が最良の時期と言えるでしょう。


 人生は楽しいことも嬉しいこともありますが、不都合なことも起こります。なぜ起こるのでしょう。人間は俺が俺がの気持ちが強く、欲と欲がぶつかり合うからではないでしょうか。そこに騙し騙され、裏切り裏切られ、互いに傷つき悶々とし、あるいは計画していたことが思うようにならず苦しむことになるのでしょう。こうした悩み、苦しみ、悲しみの娑婆の世界を生きていますと、なんとしてもそこから逃れたい。悩みも、悲しみも、怒り心も、恨み心も離れて、浄らかな自由な彼岸の境地を求めたいと思うのは当然のことであり、悦びだけの豊かな心が満ち満ちた世界それが彼岸の世界であります。私たちの親も遠い遠い先祖の方々も人生の空しさ、切なさから真の安らぎ悦びを仏法聴聞の中に求め彼岸会の行事を大切に今に伝えてくださったのです。


 今の世相を見ていますと、彼岸を迎えても誰もが墓参りだけは熱心にされていますが、彼岸の境地を求めようと仏法聴聞に励む人は少ないようです。彼岸の境地に到ろうと努力をする人も少ないように見受けられます。仏教では彼岸に到るための実践道として六波羅密という迷いから悟りへの、苦悩から喜びを得るための下記の六種の教えを説かれています。


布施:喜んで誰にでも施しをする生活
持戒:規律ある行動を喜びとする生活
忍辱:何事も辛抱強く堪え忍ぶ生活
精進:目的に向かってたゆまず勤め励む生活
禅定:どの様な時でも落ち着きと深い考えで事にあたる生活
智慧:正しく物事の真実を判断できる眼を開く生活


 七日間の彼岸会の中で六種のひとつひとつの行を試してみてはいかがでしょうか。お中日は寺参りをされ仏法聴聞の中に深く深く自分を見つめてみてください。仏の呼び声に目覚めたいものです。合掌

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