相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『大いなる 願いの中に 賜わりし 命の重さ 深く味わん』(2010年1月 1日)

大いなる 願いの中に 賜わりし
命の重さ 深く味わん

 初めて年末ジャンボ宝くじを、買わないと当たらないと言われ求めましたが、当たりませんでした。しかし当たらなかったことを残念がるよりも、そのことを通して人間としてこの世に命を賜わることは、宝くじに当たる確率よりはるかに低いと知らされ、よくぞ人間として命を賜わることができたものだ!綿々と連なる先祖の方々の大きな願いを受けて生まれることができたものだ!と改めて大きな感動を覚えました。そんな大きな尊い命を賜わりながら、どうでも良いことにああでも無いこうでもないと争い、ささやかなことに損した得したと目くじらを立て、何かにつけて不平不満の生活を送っていた自分が恥ずかしく、勿体ない限りでありました。吾唯足るを知る(われただ、たるをしる)と読ませる知足の蹲踞(ちそくのつくばい)を思い出しました。
 足る事を知る人は、むさぼり、ねたみ、怒り、不満の心があまり起こらず幸せであると申されるのですが、足るを知る心にどうしたらなれるのでしょうか?新年を迎えますと誰もが神社仏閣に初詣でに出かけ、商売繁盛、家内安全、交通安全等々、欲深く種々願い事をしますが、そうした思いでは足るを知ることはできないと思います。やはり足るを知るには仏法を聞かせていただき、自分は偉い、賢いと思っていたが煩悩だらけで、自己中心的で、他人が見ていなければ何をするか分からない私でしたと自分の本質を知らされ、自分の身に起こる様々な現象を正しく明らかにさせていただくことです。そこに頷かざるを得ない世界、お陰様の世界、足るを知る世界が味わえるのでありましょう。
 しかし、病気で苦しんだり、会社が倒産に追い込まれたり、人間関係がこじれたり種々な苦境に立たされるますと、とても足るを知り、悦ぶことはできないと思います。しかし釈尊が人生は苦なりと申されたとおり、晴れの日ばかりではないのです。雨の日も雪の日も嵐の日もあるのです。苦しい日があるから晴れの日の悦びが味わえるのです。今は苦しいだろうが、私がいつも付いているではないか。挫けるなよ!負けるなよ!念仏忘れるなよ!との如来の励ましの声をどうか聞いて下さい。生きる力が与えられ、勇気と希望がわいてきます。新年を迎えました。今年も皆様方と仏法を語り合い、悔いのない悦びの人生を共に歩みたく存じます。合掌

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