相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『仏の大悲の光』(2006年12月 1日)

あなたの命は
授かった命 願われている命
期待されている命 大切な尊い命

 「いじめ」による中学生、高校生の自殺が後を絶ちません。由々しき問題であり、そうした悲しい報道を聞く度に胸が痛みます。社会問題となり、各方面の方々が対策に頭を痛めていらっしゃいますが、いっこうに解決の目処が付きません。「いじめ」は児童や学生の中だけではありません。先生の間でも、企業の中にも、社会生活の中にもどこにでもあります。政治の世界には最たるものがあるように見えます。
 私はその根本原因は各家庭での宗教心、信心の欠如であると思うのです。各家庭で正しい信心をもとに合掌のある生活、夫婦・親子の間で人生の様々なことが語り合える生活があれば、「いじめ」の問題もそのほとんどが解決できると思うのです。仏法聴聞の中に正しい信心をいただきますと、自分の本質が見えてくるのです。今まで気付かなかった自分の本当の姿が見えてくるのです。仏法を聞かせていただくと、少しは他人より偉くなったり賢くなったり出来るように思いがちですが、そうではなく私はなんと自己中心の恥ずかしい汚い心の持ち主でしたと見えてくるのです。そうした自分が見えてきますと、他人の欠点も失敗も、自分にもその可能性があるなと感じ、その人を許せるでしょうし、他人に対して温かい思いやりの心が現れてくるのでしょう。そしてこうした私でも常に仏様から願われている。親や兄弟やたくさんの人から願われている。思われている。期待されている私でした。有り難いことですと、苦しみ悩み多い中にも力強く生きる力が与えられる思いです。
 先日、毎日新聞に北九州市の55才の主婦の方から「いじめ」に対するメッセージが投稿されていました。深い感動を覚えました。この方は複雑な家庭環境にあって、幼いながらも幾たびとなく自殺構想を練り、もうろうとした意識の中、川に飛び込もうとされたと言われます。「その私が今日まで生き延びてこられたのは祖母のおかげです。」と言われる。~暗い表情で祖母を訪ねると、祖母は何も言わず、おいしいお菓子と温かいお茶を出してくれて、「ワシには何はなくともお前が一番じゃ!」と毎回言ってくれた。その後社会人となり、結婚をし、様々な「大人のいじめ」も体験してきましたが、追いつめられたときいつもどこからともなく、今は亡き祖母の「あの言葉」が聞こえてくるのです。その都度、体の奥の辺りが温かくなり、"生きてやるぞ"とパワーが湧いてきた~と言われるのです。この温もりを孫や周囲の人々に伝えられる大人でありたい。それが私の願いですと結ばれていました。読ませていただいて、この方は仏法をよく聴聞されている方だなと感じ、私の心もほのぼのと温かくなり、自然と正信偈の「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」(煩悩に目がくらみ気付きませんでしたが、仏の大悲の光は常に私を案じ私を照らしてくださっていました。)
のお言葉を口ずさんでいました。合掌

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