相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『何をしでかすか分からない自分』(2004年6月 1日)

言葉は生きている
人を泣かせ駄目にもするが
人を喜ばせ救うこともできる

 大阪のある小学校の教師が、子供たちとある実験をされたのだそうです。それはふたつの鉢に二十日大根の種をまき、水や肥料等の条件は全く同じに育てたのだそうです。唯一つ違うのは言葉なのです。一方の鉢には「ありがとう、元気に育って」というような言葉をかけ、もう一方の鉢には「馬鹿、死ね」などと言うひどい言葉をかけて育てたと言うことです。その結果、優しい言葉、励ましの言葉をかけられた二十日大根は青々と葉を茂らせ育ったのです。一方、ひどい言葉をかけられた二十日大根は育ち始めた葉が朽ち果てて、土まで腐ったというのです。子供たちの驚きは大変なものだったと言います。私は素晴らしい先生がおいでになるものだと嬉しくなりました。こうした先生に育てられた子供たちはさぞかし心の優しい立派な人間に成長されると思いました。教育の教える面が優先されて、育てる面が忘れられている現代の教育界において考えなければならない大切なことであります。私も自分の言葉遣い、話し方を反省し、なんと愚かな恥ずかしい自分であったか、他人様に申し訳なかった思いでいっぱいになりました。親鸞聖人の

無慚愧(むざんき)は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。


慚愧あるがゆへにすなわちよく父母師長を恭敬(くぎょう)す

と申されたお言葉が胸を打つ思いであります。

合掌

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