相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『みんなおかげさま』(2003年8月 1日)

見える
聞こえる
感ずる
みんなおかげさま

 盂蘭盆会法要にご参詣くださる方々に粗品として南部鉄で作った風鈴を用意することにいたしました。その風鈴に下げる短冊の言葉を選んでくださいと業者の方が言われる。例として「和顔愛語」とか「念ずれば花開く」とか種々ありました。どれも素晴らしい言葉ですが、風鈴に下げるにはなにかピンと来ない気がしまして、いろいろ考えていたところ、
「見える 聞こえる 感ずる みんなおかげさま」という言葉が浮かんできたのです。風鈴が可愛く見えるのも、風鈴の音を聞いて涼しさを感ずるのも、
ただごとではない、当たり前ではない、大きな喜びだった。と思ったからです。
 先日も夜中に目が覚めて、何時かなと時計を見るが暗くて分からないのです。灯りをつけたら3時少し前でした。以前、「いくら視力を誇っても 光なくして物を見ることはできない」と掲示板に書いたことが思い出されました。何となく寝付けない気がしたのでテレビのスイッチを入れると画像が目に入ってきましたが音が聞こえないのです。耳が少し遠くなってきていますので、あらあら本当に耳が聞こえなくなったかと心配しましたが、音量がゼロだったので安心しました。そのときも思いましたが、耳が故障すれば音を聞くことができないのです。耳がご不自由な方は沢山おいでになるのです。思わずおかげさまとお念仏がこぼれました。
風鈴の音を聞いて涼しさを感じたり、なにかを感ずることができることも、ありがたいことです。「心ここにあらざれば、見れども見れず、聞けども聞けず」と申します。大きな悩みを抱えていましたら、風流に風鈴の音も味わえないのでしょう。いつか見えなくなるし、聞こえなくもなるし、感ずることもできなくなるのです。今をおかげさまと生かされる喜びをしっかりと味わって生きたいと思うのです。


合掌

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