相模原の浄土真宗のお寺『本弘寺』

住職の法話

タイトル:『お彼岸を前に』(2002年9月 1日)

どう生きるか?
この事を問わずして
人生にうなずきはない

 トンチで有名な一休さんが人生の相を
「世の中は稼いで食うて寝て起きて、さてその先は死ぬるばかりよ」と詠われたそうです。
まさに私の人生を上手く言い表された思いです。悲しいですね・・・
何故悲しいかと言えば、犬や猫となんら変わらぬ生き方だと思うからです。
その上、食っちゃ寝食っちゃ寝して死ぬ間に、私にも楽しいことも嬉しいこともあるでしょうが永くは続きません。それよりも、予期せぬ事故や病で入院を余儀なくされたり、人間関係が壊れて夜眠れぬほど悩んだり、生活苦に追われる等々・・・
やはりこの世=此岸=苦しみ悩みの尽きない迷いの世界であります。
そこに迷いのない、明るい安らぎの世界=悲願を求めるのは当然のことでありましょう。
此岸(迷いの世界)から彼岸(理想の世界)に渡るには六波羅密(ろくはらみつ)という六つの実践行が必要とされています。六つの行とは
1)布施(ふせ)
   自分の持っているもの、出来ることを惜しみなく他人に施す。
2)持戒(じかい)
   決まり事をきちんと守る。
3)忍辱(にんにく)
   どんな苦しみ、どんな屈辱にも耐え忍ぶ。
4)精進(しょうじん)
   誘惑に負けず、目的に向かって進んで努力をする。
5)禅定(ぜんじょう)
   外界の誘惑に惑わされず精神を統一する。
6)智慧(ちえ)
   物事の道理をありのままに正しく観る。
以上六種の行ですが、この事を実践するとなると、どれひとつとっても至難の業です。
とてもとてもやり抜くことは出来ないのではないでしょうか?

親鸞聖人も
「いづれの行も及び難き身なれば
 とても地獄は一定すみかぞかし」

と悟りへの歩みが暗礁に乗り上げたことを告白し、悲しまれましたが、その聖人が大きな壁にぶつかり悶々とした生活の中に見出された揺るぎのない悦びの道が念仏の大道でありました。

彼岸会を迎える中に聖人が喜ばれた念仏の心を静かに味わせていただきたいものです。

合掌

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